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戦跡巡り平和考える 児童生徒らフィールドワーク

川平湾で特攻艇格納壕を見学した後、桃原勝教諭(左)から説明を受ける名蔵小中学校の児童生徒ら=22日午後

川平湾で特攻艇格納壕を見学した後、桃原勝教諭(左)から説明を受ける名蔵小中学校の児童生徒ら=22日午後

名蔵小中

 名蔵小中学校(入嵩西清幸校長、児童23人・生徒14人)は22日午後、平和学習フィールドワークを実施した。小学5、6年(9人)と中学生(14人)が川平にある平和之塔と特攻艇格納壕を巡り、戦争の悲惨さや平和について考えた。

 平和之塔は、川平湾を基地とした海軍第19震洋隊・大河原部隊の碑として1985年に建立された。碑には隊員名、建立関係者氏名、大河原部隊長の建立趣意が記されている。

 格納壕は現在の高屋側4カ所、仲筋側5カ所で確認されているという。構築作業には朝鮮人が岩盤を掘り、徴用された川平や与那国島の住民が土や石を運び出した。

 現地で説明した名蔵中の桃原勝教諭は、川平に特攻艇基地を置くにあたり、川平住民に宮崎県への「疎開命令が出された」と述べた。その理由に「ひとつは混乱を起こさないために住民を逃がす。もうひとつは軍隊は戦争するために石垣へ来たが、住民が残っていると敵のスパイになる恐れがありそれを避けたかった」と解説した。戦時中、川平部落の喜舎場兼美会長が住民と軍の間に入り、結果として疎開命令を撤回させた。

 桃原教諭は「軍のいたところには慰安所が必ずあった。川平でも慰安所で女性が亡くなっている。埋葬され、その骨はだれにも拾ってもらえなかった。川平は戦争の矛盾がいろいろと凝縮された場所」とした。

 この後児童生徒らは、学校に戻りグループワークで見学した場所について取りまとめた。

 名蔵中1年の伊志嶺芹菜さん(12)は「壕の中で亡くなった方がいることも知った。今日の学習を踏まえて明日の慰霊の日を過ごしたい」と話した。

  • タグ: 平和学習フィールドワーク名蔵小中学校
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