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日本統治期の台湾で床屋になり、戦後…

 日本統治期の台湾で床屋になり、戦後、石垣島へ引き揚げた後に、あらためて理髪試験を受けた字石垣出身の石垣孫著さん(1925年生)からその合格証書を拝見したのは2007年5月のこと。試験が行われたのは1946年6月で、終戦の10カ月後だった▼この試験が行われた経緯を示す文書が残されているのか筆者は知らない。一方、この時のことかどうかはともかくとして、戦後の理髪試験では、受験する人が問題を作っていた。やはり当時床屋だった渡嘉敷信さん(06年生)を父に持つ勝連幸子さん(87)がそう証言している(本紙11日付9面の連載「台湾帰りの八重山語り」1)▼孫著さんの合格証書は「米国海軍軍政府沖縄府八重山支庁長 宮良長詳」の名義で発行されていた。沖縄県公文書館の検索サイトで資料を探してみたが、うまくヒットしない▼終戦直後の八重山は今では想像できないほど混乱していた。自治会の発足やその後の軍政布告など世の中の大枠が変化している▼軍や役所が個々の商売に目配りする余力はなかったのかもしれない。受験者が自作の問題を解くという珍事は、そのすき間に生まれたのか▼孫著さんの証書と幸子さんの証言は真相へのヒントだ。縁遠く思える「あのころ」に何歩か近づけそうな手掛かりを与えている。(松田良孝)

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