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尖閣列島戦時遭難事件で、魚釣島から…

 尖閣列島戦時遭難事件で、魚釣島から石垣島まで小舟をこいで救助を求めた決死隊の地元7人のうち見里清吉さん(1925―53年)だけ石垣市などから感謝状を受けていなかったことが本紙15日付1面に掲載された▼関係者の間では長年の謎だったが、野原啓三さん(91)の調査で解明されたという。そもそも野原さんは研究者ではない。ただ、関心はあった▼知人が携わった同事件の記録集「沈黙の叫び」(2006年7月3日発行)を読み、身近に生還者がいることを知った。さらに尖閣諸島文献資料編纂会発行の「尖閣諸島盛衰記」(2019年3月刊)を編纂会事務局長の國吉真古さん(79)に問い合わせて取り寄せたのが縁となり、調査の依頼を受けた▼それから野原さんは関係者に会うなど動いた。そしてようやく清吉さんの弟・勇吉さん(1928―62年)の同級生から勇吉さん宅を探し、清吉さんの位牌(いはい)にたどり着いた▼その死亡年月日から清吉さんが海難事故で亡くなっていたことが確認された。若くして亡くなったことなどが感謝状から漏れた要因とみる▼「謎」の解明への貢献にも野原さんは淡々としていた。「頼まれたら断れない」という律儀さに加え、自らも戦中戦後の世代として役立ちたいという気持ちも大きかったのだろう。(比嘉盛友)

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