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78年前、東京の防空監視隊として終戦を

 78年前、東京の防空監視隊として終戦を迎えた。16歳だった。ラジオの玉音放送で「君が代」が流れると、本土決戦に向けた指示だと思った。雑音が多かったが「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」は聞こえた。陸軍将校が泣き出し「敗けた」と実感した。その場にいた約300人がひざまづいて泣いた▼「玉砕」という言葉は玉が砕けると書く。「沖縄は玉砕した」。全員死んだという常識があった。沖縄の人も石垣島にいる両親も死んだ。最悪の人生だ。自暴自棄になった▼東京に残ってもよかったが、長男としての責任感もあった。石垣島に行きたい。鹿児島から輸送艦に乗って故郷に向かった▼於茂登山がみえてきた。山の麓(ふもと)から白い煙が上がっている。きっと誰かが生きている。船を竹富島沖に係留し、石垣島に到着すると黒山の人だかり。両親と弟の姿もある▼「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」。ずっと国の言うことを信じてきた。桟橋を下りて思わず「大本営の嘘つき」と叫んだ。「玉砕」と言ってみんな生きていた。家族に会えたうれしさの反面、今までだまされていたと感じた▼これは、ある日の取材でうかがった浦崎政克さん(那覇在)の戦争体験。戦時教育、情報統制に翻弄(ほんろう)されながらも人生を取り戻した物語。(玉津盛昭)

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