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30年ほど前、与那国島に近い海域で…

 30年ほど前、与那国島に近い海域で中国と台湾が軍事演習を行っていたことがある。台湾軍は1994年8月以降、射撃訓練区域を数年にわたって設定していた。中国軍は96年3月、ミサイル演習を行った。台湾初の総統公選に反発したものとされる(第三次台湾海峡危機)▼台湾軍の射撃訓練区域は、与那国島の漁民が使用する漁場と重なり、島の経済は打撃を受けた。この訓練の中止を求めて、ひそかに台湾に渡り、李登輝総統に直談判したのが副知事だった与那国島出身の吉元政矩氏である▼吉元氏はのちに歴史学者の伊藤隆氏と佐道明広氏のインタビューで、この直談判の後、演習区域は別の海域に移り、元通りに出漁できるようになったと述べている。「これは本当にひとことで解決した」と▼李登輝側に接触したルートなどは明かしていない。県政きっての名バイプレーヤーらしく、機微に触れる事柄は後生へ持っていった▼終戦は台湾基隆の疎開先で迎え、蘇澳からカツオ船で与那国へ引き揚げた。台湾とともに歩んだ与那国人が徐々に姿を消していくなかで、吉元氏の死去が与える波紋は幾重にも広がり、基地問題など多岐にわたる▼台湾への“密航”は、その来歴と人脈を丸ごと島に還元しようとした姿勢の表れだ。1月29日死去。享年88。合掌。(松田良孝)

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