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戦後の移民たちが開いた村でどのような…

 戦後の移民たちが開いた村でどのようなマラリア対策が行われていたのか。ひとつの例として、米国民政府(USCAR)の公衆衛生担当者が1951年に調査した資料を見てみよう▼伊野田では、伊原間から医師が来て、マラリア治療薬を住民に配っていたという。英語の原文では「医師」は「メディカル・サービス・マン」と表記されている。「医療サービス提供者」とでも訳せばいいのだろうか。なぜか「ドクター」という単語は使っていない▼伊原間診療所を担当した経験のある医師の今村昌幹先生(ぬちぐすい診療所)から小冊子「伊原間診療所~69年のあゆみ~」を送っていただき、中を読んでいて疑問が解けた気がした。小冊子には「医介輔制度によって伊原間地区の医療は始まった」とある▼「メディカル・サービス・マン」が医介輔だとすれば、しっくりくる。最初に赴任した医介輔の大島俊吉氏は、1950年から54年まで駐在したそうである▼この小冊子は、北部地区の医療の足取りをコンパクトにまとめたものである。目を通していくと、移民に伴う戦後八重山の変化やマラリア、人口問題などが浮かび上がってくる▼マラリアの薬を手にした大島先生が不便な道を通ってくる姿を想像してみる。遠い過去に少し近付けたように感じられた。(松田良孝)

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