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復帰50年、島々はどう移り変わってきたか

 復帰50年、島々はどう移り変わってきたか。手元の「市勢年表いしがき」を参考に世相をふりかえる▼復帰の前年、島々は未曽有の天災に見舞われた。3月から9月に及ぶ大干ばつ、7月の雨を持たない「火風(ピーカジ)台風」のダブルパンチに島々は真っ赤に枯れた。急速な離農、本土企業による農地買占めが進み、石垣市は大浜町合併後で最も人口が減少することになる▼迎えた復帰の年、島々の通貨切替に準備された日本円は15億円余。1人平均3万円超ぐらいか。折からの物価値上げは、切替を機に輪をかけた異常高騰となって悲哀の世替わりとなった▼それでも先人は、復帰記念事業として石垣市立八重山博物館建設を成し遂げ、気概を示した。NHKテレビは先島でカラー放送を開始し、気象台のポールが撤去され、暮らしも風景も変わってきた▼復帰当日の15日。市役所駐車場では「核抜き本土並み」を求める革新勢力が抗議の、現在のゆらてぃく市場にあった農産物集出荷場では保守系の人々が祝賀の、郡民大会を開いていた。復帰運動を進めてきた側と、「芋はだし論」で復帰に反対した側の、それぞれの変遷▼そして今、戦後77年基地のなかった島に、想像すらしなかった軍事化が進む。島と子どもたちの未来に危惧を覚える復帰50年目である。(慶田盛伸)

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