撲滅60年で記念事業 伊野田で碑建立を
- 2021年12月10日
- 地域・教育
八重山地域でハマダラカによって媒介される伝染病マラリアが一掃されて来年で60周年を迎えることから、琉球大学の研究者らで組織する「TeamYaeyamaZeroMalaria(チームヤエヤマゼロマラリア)」(代表・斉藤美加大学院医学研究科ウイルス学講座助教)が後世に伝承して感染症の教訓を世界に発信しようと記念事業に取り組んでいる。戦後、北部地区の防圧拠点となった伊野田地区で説明版設置の準備を進めており、これに合わせて地元での記念碑建立を期待する。
斉藤代表が9日、伊野田公民館で住民らを対象に説明会を開き、撲滅の歴史と意義を紹介、「伊野田で八重山ゼロマラリア60周年をお祝いしよう」「伊野田からこの話を広めよう」と呼び掛けた。
説明会開催に協力した仲原清正さん(70)は「入植当時ゼロ歳だったので記憶はないが、先人の頑張りで今の平穏な暮らしがある。忘れてはいけない記念碑を建立して後世に残したい」と意欲的。マラリア罹患を体験した住民らは「今でも蚊に刺されると思い出す。忘れられない」と話し、記念碑建立に賛同した。
ただ、地域内では建立に向けた具体的な話し合いは行われておらず、仲原さんらが今後、公民館役員に伝え、総会などで協議される見通しだ。地区外にも協力を求めていくことになりそう。
八重山のマラリアは、1530年代に難破したオランダ船によって原虫が持ち込まれたとの説がある。1922年に初めて患者数が報告されて以降、毎年1000―2000人で推移していたが、太平洋戦争末期の1945年には軍命による有病地への強制避難で1万6000人余りが罹患、うち3600人余りが犠牲となった。
この八重山戦争マラリアに続き、戦後は「移民マラリア」で北西部の入植者が苦労した歴史がある。「開拓の歴史はマラリアとの戦いでもあった」と言われるほど。伊野田では1954年に425人の罹患者があった。住民の自覚を促すため、患者が1人発生するごとに居住する家屋の屋根に赤旗1本が立てられ、各戸の屋根に真っ赤な花が咲いたような光景が広がることもあったという。
その伊野田に50年7月7日、対策を担う群島政府の出張所が伊野田に設置され、撲滅に向けた北部地区の拠点に。その後、米国民政府のマラリア対策の効果などで1962年に撲滅した。
チームはことし4月に4カ国版八重山のマラリア史をウェブ上で公開、10月には市内小学校で模擬体験授業を行った。来年8月にマラリア防圧事業(仮称)の説明板の設置を準備している。
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