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黒雲のような大波 3度にわたって襲来

大野海岸にある巨大な津波石=2010年4月15日

大野海岸にある巨大な津波石=2010年4月15日

 地震がやんですぐに東のほうが雷のように轟き、間もなく外の干瀬まで潮が引いた。あちこちに波が立ち、やがてそれがひとつになって黒雲のように躍り上がり、津波が三度にわたって襲来した。沖の岩を陸へ寄せ揚げ、引く波が陸上の岩や大木を根こそぎ引き流した―。

「大波之時各村之形行書」は250年前の津波を詳細に伝えている。

跡形もなく

 1771年(明和8年)の午前8時ごろ、八重山列島沖を震源とする推定マグニチュード7~8の地震で生じた巨大津波が先島地方を襲った。通称「明和大津波」。約1万2000人が死亡、うち八重山では住民の約3割に当たる9300人余りが犠牲となった。

 当時の八重山の蔵元から琉球王府に提出された「形行書」によると、白保では全住民1574人のうち生き残ったのはわずか28人、死亡率は98%になる。宮良、大浜、真栄里、仲与銘(現伊野田)、舟越(伊原間)、安良、西部の屋良部(崎枝)を含めた8村が津波によって「跡形もなく引き崩され」た。字石垣でも波が坂を上り、宮鳥御嶽の前まで押し寄せたとされる。

驚異の遡上高

 甚大な被害をもたらした要因は、遡上高の高さにある。過去には85㍍と世界最高の遡上高としてギネス記録に認定されたこともあるが、その後の検証で見直された。

 「最新科学が明かす明和大津波」(後藤和久・島袋綾野編2020)によると、最高でも約33㍍であると推定されている。

 10年前に発生した東日本大震災では岩手県宮古市で約40㍍の遡上高を観測。明和大津波はこれを下回るが、津波のエネルギーを緩和するリーフが発達した八重山でこれだけの遡上高が観測されたことは「驚異」という。

 20年以上研究を続けている明和大津波研究会の島袋綾野さんは「目の前にサンゴ礁が広がる白保や宮良であってもあれだけの遡上高が出ていることに一番の衝撃を受ける。どれだけ恐ろしい被害だったのかが想像できる。明和大津波は琉球史における最大の災害」と位置付ける。

 八重山の人々の暮らしや文化、その後の歴史を大きく変えた明和大津波から250年が経過する。地震学の専門家は「おそらく次も来る。それはもういつ来てもおかしくない」と警鐘を鳴らす。(﨑山拓真記者)

 

   ◇   ◇

 明和大津波の発生から24日で250年を迎える。今後の地震・津波発生の可能性や対策の現状と課題はどうなっているのか。未曽有の災害から私たちは何を学ぶべきか。東日本大震災から10年でもある節目の年に考える。

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