部員らが平和学習 少年荒鷲石垣小FC
- 2020年09月22日
- 地域・教育
少年荒鷲野球団(大濱明彦監督)と石垣小FC(崎山用育監督)のメンバー30人が国際平和の日の21日、戦時中に強制避難先となっていた名蔵白水を訪れた。体験者から話を聞いた後、白水から石垣小学校まで歩き、当時の人たちの苦労を追体験した。
少年団は夏休みにレクリエーションを兼ねて平和について考える取り組みを行っているが、ことしは新型コロナウイルスの影響で部活動も自粛となって実施できなかったため、国際平和デーに合わせて企画した。
字石垣に住む戦争マラリアを語り継ぐ会会長の潮平正道さん(87)が講師を務めた。白水は登野城、大川、役場関係者らの避難先。字石垣の避難先は前勢岳北方の外山田だったが、父親が役場に勤めていたため潮平さんも白水に避難し、鉄血勤皇隊として軍作業にも従事していた。
子どもたちは避難所の出入り口となる川まで歩いて行き、せせらぎが響く現地で話を聞いた。潮平さんは、避難小屋の内部や雨戸に遺体を載せて運ぶ人たちを描いた絵をみせながら説明。「ここに2階建てのかやぶきの小屋があり、それは軍が住民の出入りを監視していた」「マラリアは蚊から伝染するので、避難小屋の中に薪を立て煙を出していたが、それでも蚊に刺されてマラリアにかかり、たくさんの人が死んだ」と語った。
避難生活にも触れ、「山の中なので食べ物がない。食べられる新芽や草、タンポポ、バッタ、カエル、タニシなどを食べた。タニシはスープにして食べた。鶏肉、豚肉、牛肉などはもちろんない。山ガメはごちそうだった」と話した。
子どもたちは体験談を聞き終えると、石垣小学校までの道のりを約2時間半かけて歩いた。
少年荒鷲の仲里寿斗(ルビ=じゅと)君(6年)は「昔の人は険しい山道を通って避難していたのか、こんなにも長い距離を往復していたのかと思うと、ほんとに大変だったと思う」、サッカー部の伊礼由将君は「戦争体験の話を聞いて命の大切さを改めて知った。よく生き残れたと思う」と話し、75年前の戦争に想像を巡らせていた。
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