58年ぶりに修学旅行再現 八重山の離島巡り
- 2019年05月18日
- 地域・教育
沖縄本島在住の石垣中第12期生でつくるゴッカンナーの会(宮良孫匡会長)の会員らが15日から八重山を訪れ、中学3年生だったころ小浜島、西表島、竹富島を巡った修学旅行「八重山の離島めぐり」を58年たって再現。学生時代の思い出話に花を咲かせながら、あらためて八重山の歴史や文化を学び、当時の足跡をたどった。
同会は、1961(昭和36)年に石中を卒業した同期生が68(昭和43)年に結成。会員らが生まれたころ太平洋戦争が終戦を迎え、台湾や南洋の島、避難先の墓の中などで産声を上げた人もいる。会の名称は、終戦後の物の乏しい時代に、ゴッカンナー(ヤラブの実)をビー玉代わりにして遊んだことから、愛着を込めて命名した。
離島巡り最終日の17日は、朝から竹富島へ。当時は、焼玉エンジンで走るいわゆる「ポンポン船」で30分かけて渡ったという。
石中の修学旅行で船を使い石垣島を出る修学旅行は、12期生が最初で最後だった。昨年、発刊した50周年記念誌の編集委員長を務めた宮良行雄さんは「翌年から生徒数が倍近くなったので行けなくなったのだろう」と振り返った。
竹富島ではマイクロバスで回り、カイジ浜で星砂を集めたり、同会の名前の由来となったヤラブの実を拾ったりして童心に帰った。
安里屋クヤマの生家前では、新垣勝秀さんの三線で「安里屋ユンタ」を合唱。當山清孝さんは「あのころは中学生だったので先生はクヤマの『恋ばな』は教えてくれなかった」と笑った。
台湾で生まれ、小学校1年まで竹富島で過ごした大山髙行さんは西表島の営林署に勤める父親が1カ月に1度島に帰ってくるのを西桟橋で心待ちにしていた思い出話を披露し懐かしんだ。
安藤(旧姓・石垣)瑞枝さんは兄夫婦の安藤一男さんと孝子さんと来島。2人は「島の人はおおらかで親切」と八重山の印象を話した。
宮良行雄さんは同会について「仲間が集まって話ができ、誰かが悩んでいたらみんなで気遣いお互いの心の支えになっている。80歳まではこの会を続けていきたい」と気持ちを新たにし島を後にした。
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