自分さえよければの克服を
- 2019年03月23日
- 社説
■一部大人の情けない所業
平得後方高台農園のテリハボクの幹に扇風機が見せしめのようにきつく縛られてあった。どこかユーモラスなようだが、それは実は農園主の怒りであり警告であった。
防風林のテリハボクが農道に濃い影を落とすそこらには夏場の昼時になると営業の途中だろうか止めた車の運転席で弁当を食べる姿が普通に見られた。
そのうち木立の根元に空の弁当箱やペットボトルが捨て置かれるようになった。そこで農園主は注意を促すべくそれらを大きなビニール袋に詰めそこらに置いたのだが、その効果がないまま扇風機まで捨てられるに至ったのだ。
市街地から離れた道端のやぶに覆われたくぼ地や繁茂した雑草や低木で道路から目隠しされた沢沿いに、不法投棄された冷蔵庫や洗濯機などを目にするのも珍しくない。人情豊かな石垣島、風光明媚(めいび)な石垣島のフレーズが一気に色あせて見える時だ。
■大人の背中いかんで
ポイ捨て、不法投棄する大人はわが子にポイ捨てするな、環境を汚すなと指導できないだろうが、これではその子も負のスパイラルに陥りかねない。わが子に「生きる力」が身に付くことを願わない親はいないだろうが、その力は他への気遣い、周りへの心配り等を当然含む。迷惑をかけることに無頓着では「生きる力」と言えまい。例えばごみの山を見て胸を痛めるのが「生きる力」だろう。他との協調なしの充実した生き方があろうとは考えられない。
ひるがえって親がポイ捨てや不法投棄を嘆いたり憤慨したりする姿は、その子に親を嘆かせるようなことはすまいと心に刻ませるのではなかろうか。
登校児童の見守り活動や子ども会活動等に前向きに取り組む松井純子さんの新聞投稿を読んだ。子ども会でごみ拾い活動に参加した時の様子が持ち前の明るい筆致で紹介されていた。母親がよく口にしたという「チュブル(頭)が動かんかったらジュー(しっぽ)も動かんよ」の引用もあった。松井さんの解釈では「子育ては親の意識次第」だ。その日は「20余年前に子ども会活動をしていた娘2人も参加」したというから三代にわたる尊い連鎖だ。
■ポイ捨てへの抵抗感を
学校では必要のないものは持たない、ごみは出さない、目についたら拾う等の取り組みを徹底することが大事だろう。並行して子どもたちに集団生活を送る上でのルールの大切さ、ごみ一つない清潔な環境で過ごす心地よさを体得、体感させたい。学校道徳の価値項目に「美しいものに感動する豊かな心」があるようだが、その心を涵養、強化するためにごみのある光景とは対極の美しいものに触れる体験を子どもたちに積み重ねさせていただきたい。そうすることでポイ捨てに対する抵抗感も強まるのではなかろうか。
「18年にわたり山に登りながらごみを拾い集める清掃活動」を続ける登山家の野口健さんは「自然に触れ合った体験が環境を守りたいという気持ちにつながっている」と語っている。八重山の豊かで美しい自然の懐に子どもたちを導くのも有効だろう。
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