戦跡巡り実相知る 後世に伝える痕跡 保護を
- 2018年06月17日
- 地域・教育
23日の「慰霊の日」を前に戦跡を通して平和の大切さを学んでもらおうと石垣市教育委員会は16日、2018年度戦跡めぐりを行った。16人が参加、島の西側に残る戦跡を回り、「八重山の戦争」の実相の一端に触れた。戦後73年。経年劣化で消滅の危機に直面している戦跡もあり、後世に戦争を伝える痕跡として保護の必要性を確認した。
講師を務めた市文化財審議委員の松島昭司氏によると、多数あった戦跡は戦後、耕作などに伴って取り壊されたため、現存するのは大小合わせて約40カ所。
ことしのコースは、大浜の海軍南飛行場(旧石垣空港)の格納庫(掩体壕(えんたいごう))、前勢岳の新川住民強制避難地ウガドーカーラ、崎枝の元海底電線陸揚施設(通称デンシンヤー)、川平湾の特攻艇秘匿壕群など。
格納庫は、海軍飛行場の完成に合わせ、1945年1月から50機分を目標に急ピッチで建設されたもの。どれだけ完了したかは判明していないが、戦後には6、7カ所あることが確認されていたという。
その後、地主が取り壊すなどして減少したが、大浜の1カ所は、平和学習に活用したいとの市教委の協力依頼を受け、地主が快諾して保存された。県内で唯一残る格納庫で、尾翼を奥にして格納する鉄筋コンクリート製の施設。鉄筋がむき出しになっていた。私有地のため一般の見学は難しく、改善を求める声もあった。
デンシンヤーは、明治時代の1897年に建てられたものだが、太平洋戦争中も通信施設であったため、連合国軍の攻撃目標とされ、壁には今も多数の弾痕が残っている。
川平湾沿いに残る特攻艇秘匿壕(ごう)は、海軍第19震洋隊が構築したもの。特攻艇は、船首に爆弾を装備して突撃するモーターボートだが、出撃はなかったという。秘匿壕は川平集落に近い高屋側に5カ所、対岸の仲筋側に3カ所の計8カ所が確認されており、今回は高屋側の5カ所を訪れた。奥行きは20㍍余りだった。
参加者のうち団体職員の仲松英徳さん(43)は「父親が戦争体験者で壕の話も聞いており、戦跡めぐりは、気になっていたので参加した。いい勉強になった。戦争が風化しないよう、戦跡を残し、戦跡めぐりも継続してもらいたい」と要望した。
戦跡のうち市指定史跡はデンシンヤーの1カ所のみ。市教委文化財課は「重要なものについては保護の必要性を感じている」としている。
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