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1981年3月8日。10歳のときだった。台所にあった「親子ラジオ」の…

 1981年3月8日。10歳のときだった。台所にあった「親子ラジオ」のボリュームを上げ、一言も漏らすまいと実況に集中していた。わが双葉の英雄、世界ボクシング協会(WBA)ジュニアフライ級(現ライトフライ)王者・具志堅用高さんの14度目の防衛戦だった▼当時は民放がない。ちょうどビデオデッキが出始めたころだったか。それまでは、双葉公民館で数週間遅れのビデオ観戦だった。14度目にして初めて沖縄で行われた防衛戦が、後にも先にも初めて接する生放送だった▼いつ倒すか、まさか倒されるのか、と緊張の連続。ラウンドを重ねて12回。具志堅さんは挑戦者にノックアウトされた。リングに沈む様子を伝える実況は悲鳴のよう。ぼうぜんとした。そして悲しみがこみ上げてきた▼あれから37年たった去る2月4日、比嘉大吾が2度目の防衛戦で挑戦者に1ラウンドKO勝ち。リング上で具志堅さんはマイクを向けられると「もう終わったの?」とちゃらけたが、そこはタレントとして視聴者の期待に応えたのだろう▼でも、勝利の瞬間からリングに上がり、比嘉に近づいていく具志堅さんの目はまっ赤だった。37年前の郷里での敗北の悔しさはいかばかりだったか。頼もしい弟子の雪辱に、胸の内は号泣だったに違いない。(比嘉盛友)

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