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戦争体験を記事にするとき、思うことがある

 戦争体験を記事にするとき、思うことがある。この作業を平和学習に生かせないかと▼戦後72年企画で、於茂登地区に住む喜友名朝徳さん(94)に取材をお願いした。自衛隊配備予定地周辺4地区のうち、戦後、米軍に土地を接収された人たちがどんな戦争体験を経て入植し、開拓してきたのか、紹介したいと思ったから▼喜友名さんは台南で軍隊教育を受けた後、フィリピンに配属されて終戦を迎えた。72年前のこと。当然、記憶は鮮明なところ、おぼろげなところがある▼部隊長の名前は「横山中将」とはっきり覚えており、「米軍機が来ても撃ち返すな。米軍が上陸しても山に逃げて停戦を待て。自決はするな」と言われた内容までを再現してくれた。調べてみると、戦後29年を経て、ルバング島から生還した小野田寛郎少尉も横山中将に同じことを言われていたことが分かった▼配属先については「バタン」「台湾の南」「於茂登岳のような大きな山があった」と話した。バターン半島かと思ったが、話の内容からバタン島に行き着いた。次の取材で「近くにバスコという街があった」と街の名前を思い出してくれた▼体験を聞いた後に資料などで裏をとり、再度確認する。そうすることで体験者の記憶も、聞き手の理解も、正確になっていく。(比嘉盛友)

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