沖縄慰霊の日
- 2017年06月23日
- 社説
■言行不一致の弔辞
沖縄は「慰霊の日」を迎えた。県内各地では慰霊祭が行われ全戦没者の冥福を祈り恒久平和を誓う。
しかし、慰霊祭における為政者たちの平和宣言や弔辞を聞いていると、言行一致どころかあまりにも乖離(かいり)していることにがくぜんとする。
「恒久平和という人類普遍の願いを達成するためわが国憲法の崇高な理念に基づき『非核平和都市宣言』『平和港湾宣言』をより一層発展させ」「国境のまち石垣市から平和と命の尊さを広く訴え続けていく」(2010年)
「平和憲法の理念を生かし戦争につながるすべての行為を否定し、恒久平和の願いを発信したい」(2011年)
「私たちは貴重な戦争体験や資料を通して、戦争の悲惨さを風化させず語り継いでいかなければならない」(2016年)
これは、中山石垣市長の平和宣言である。平和憲法の崇高な理念とは戦争放棄人類の恒久平和である。平和憲法は戦争という人類史上かってない悲惨な体験を教訓として制定されたものだ。
しかし、中山市長を見ていると平和宣言とは真逆の施策を推進しているとしか思えない。
石垣港には海上自衛隊の艦船が入港し平和港湾都市宣言は打破され、平得大俣には自衛隊のミサイルが配備される基地建設計画が着々と進められている。
これは、自らが宣言した事にも反することである。
■歴史は繰り返す
1941年太平洋戦争が勃発すると突如、船浮港に陸軍の測量隊が現れ竹富村や住民への説明もなく測量をして有無を言わさず土地を強制接収した。八重山初の軍事基地船浮要塞(ようさい)の誕生である。
先月、若宮防衛副大臣が中山市長に自衛隊施設配備を説明し、6月11日には防衛省主催の住民説明会が開催された。中国脅威論を背景とした防衛空白地帯を埋めるため基地建設は必要だという国防優先が示された。施設配備案には防衛省の事前調査に同意していない地権者の土地も含まれていることも明らかになった。船浮要塞建設の土地接収と大差はない。
説明会後、中山市長は配備計画に対する民意の判断については「最終的に配備了承ということになれば、市有地の買収や貸し付けについて議会に諮る」と述べている。
しかし、住民投票については6月議会でも「国防や安全保障にはそぐわない」と否定した。これでは民意の判断は市長の胸三寸にあるといえる。
■キャンプと教訓
悲惨な戦争体験を次世代にどう伝えるかが深刻な問題となっている。
にもかかわらず、某学校では慰霊の日からの3連休を利用して職員がキャンプを呼び掛けているという。
学校では平和教育の一環として講師を招いての講話や戦跡巡りをしている。しかし、教員自らが創意工夫して平和教育に積極的に取り組んでいるとは思えない。
戦前、軍国主義教育を行った教師たちは戦後「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンのもと平和教育を行ってきた。若い教師たちは先輩の苦悩や足跡をもっと学ぶべきではないか。
ひとは、碑に向かい頭をたれるとき、だれもが真摯(しんし)に犠牲者を悼み再び戦争が起きないことを祈るはずだ。
自衛隊配備推進をして、対立する人たちを「平和ボケ」「思考停止」と述べている人たちは碑に額ずくとき、戦争犠牲者に何を祈るのだろうか。
また、中山石垣市長はどのような平和宣言をするのか。そして今後の言行に注目したい。
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