八重山の運命を大きく変えた歴史の転換期が…
- 2009年03月05日
- 不連続線
八重山の運命を大きく変えた歴史の転換期が何度かある。アカハチが首里王府に討たれた1500年の動乱もそうである。それ以後、八重山は琉球王国の版図に組み込まれていく▼大浜地区ではこの事件のリーダー、アカハチが死んだのはサニズのころと伝えられ、毎年旧暦3月3日には慰霊祭が催される。一方、蔡鐸(さいたく)本『中山世譜(ちゅうざんせいふ)』(1701年成立)は、八重山討伐軍が那覇港を出発したのは同年の旧暦2月2日(太陽暦3月1日、以下、かっこ内は太陽暦)。ちょうど今ごろの季節になる▼約3000人の兵士を乗せた46隻の軍船が石垣島沖に到着したのは旧2月13日(3月12日)である。ところが王府軍が敵情偵察を始めるのはなぜか旧2月19日(3月18日)で、6日間という長い空白がある▼結局、旧2月20日(3月19日)、登野城と新川から攻められたアカハチ軍は敗走を重ね、アカハチも底原で討たれた。ナータフーズ(長田大主)の妹クイツバもまた、アカハチの妻ゆえに殺された▼アカハチと同じくクイツバの死後の扱いも哀れだった。八重山の歴史上、最初の悲劇のヒロインの慰霊碑が建てられたのはようやく500年後のことだ▼うるずんの季節に散った2人の命。その碑は今、大浜の崎原公園の中で寄り添うように建っている。(砂川哲雄)
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