Category: 地域・教育
【与那国】祖納浦野の大舛家墓地に「ひめゆり学徒・大舛清子の碑」がある。戦死した清子さんの弟、大舛重盛さん(76)=浦添市港川=ら本島に住む兄弟姉妹が慰霊の日を前に、鎮魂と平和を願い建立した。
清子さんは大舛家の四女。師範学校の学業半ば、太平洋戦争の激しい戦火の中を学徒隊として本島南部の海岸を移動さなかに被弾。若い命を奪われた。
16歳の清子さんの死は遺族にとって戦後の60年、それに向き合い、この事実を引きずってきた。
降りそそぐ弾雨が鉄の暴風とまでいわれた沖縄戦。学友らの必死の救出にもかかわらず壮烈な最期をとげた清子さんを兄弟姉妹は、ひめゆりの塔で学友らとまつられていることを認めながらも、大度の海岸で負傷し、迫る敵兵に、アダン林の中でおびえる姿が眼前から消えず落ち着かない。
「清子の死はわれわれに何を残したのかと思う。動員された女子学徒隊としての戦死を碑に刻むことで後世に継ぎたい」と重盛さんは、2度と戦火がないことを願い建てた趣旨を語った。「せめてもの碑を建てることで清子と残された者が安らぐことができれば」と話した。
碑には「沖縄のいくさに この身果てたるも 魂かえりねむれ 父母のみもとに」。姉の黒島八重子さん(83)(那覇市在住)が詠んだ鎮魂の意が刻まれている。
「無残な戦死を悲しんで世を去った両親を思うとつらい。建立は父母の慰霊でもある」、と八重子さんはいう。碑は昨年建った兄、大舛松市大尉の「遺訓の碑」と向かい合っている。語り合っているよう。(田頭政英通信員)
弟さんが当時14歳。お姉さんが21歳。
清子さんが16歳。
今でいえば、本当に明るい雰囲気を共有できる姉妹関係が想像されます。
考えたら考えるほどくやしく、断腸の想いに駆られる沖縄戦です。