八重山諸島のニュース・石垣島・竹富島・西表島・新城島・小浜島・鳩間島・黒島・波照間島・与那国島

エントリー

沖縄から1万4000人が台湾に避難 台湾文献館で記録文書発見

1162人がマラリアなどで非業の死
八重山関係者も250人(推定)が犠牲に
 【台湾・南投市】太平洋戦争末期の1944(昭和19)年夏以降に行われた台湾疎開で沖縄関係者1万4044人が台湾へ避難し、このうち、親類縁者に頼らず、政府の指示によって疎開した「無縁故疎開」は1万1448人で、その10.2%にあたる1162人がマラリアなどで台湾で死亡したことを示す文書が台湾の国立公文書館に当たる国史館台湾文献館に保管されている。同文献館には、終戦後の45(同20)年9月末に旧日本軍側がまとめた疎開者の統計もあり、同月現在で八重山からの無縁故疎開者2171人が台湾に残っている。疎開者の死亡率を1割とすると、八重山関係者の死者は250人近くと推定される。子供や女性、お年寄りなど弱者ばかりで台湾へ渡った疎開者たちが、異郷の地で悲惨な運命をたどったことが具体的な数字で示された。  台湾疎開は44年7月の閣議決定によるもので、先島からは2万人を計画。実際に疎開した人数については、終戦後の45年11月4日に「台湾軍管区参謀長」の名前で台北から打たれた電報が「約1万名(本島3000、宮古5000、石垣2500)」と伝えているのが知られているが、詳細な記録はこれまで確認されていなかった。  同文献館に保管されている文書は「無縁故疎開せる沖縄島民の送還に関し嘆願の件」。台湾の沖縄出身者が戦後に組織した沖縄同郷会連合会が45年12月、中華民国の台湾担当責任者となった陳儀(チェン・イ)台湾省行政長官(台湾省警備司令長官)に送った。中華民国・台湾省側の担当者が作成した別の文書によると、提出日は12月18日か19日とみられる。  それによると、台湾に疎開した沖縄関係者は先島など沖縄から直接疎開した人が1万2447人、南洋群島からが1597人の合わせて1万4044人。このうち、無縁故疎開は1万1448人で、このなかから1162人が死亡した。  文書では「主として老幼及婦人」からなる無縁故疎開者が終戦後、経済的に困窮、疎開地の多くがマラリア有病地帯であったために、「冬季を迎えて、生活が最近とみに窮境に陥し、死亡者1162人に達し、悲惨見るにしのびざる実情」と指摘し、▽至急故郷に送還すること▽食糧援助▽病気などで帰れない疎開者の救済―の必要性を強調。  食糧援助については、疎開先がマラリアで労働力不足をきたしていることや、終戦までは台湾から移入する食糧に多くを依存していたことなどを挙げて、先島の食糧事情が悪化していることも説明している。  「種もみの輸入に対しては同地元代表者よりすでに別途嘆願せる通り」との文言もみられる。  そのうえで、(1)同連合会発行の証明を持つ疎開者を送還するため、沖縄側の漁船が台湾を出入港する(2)沖縄にいる台湾人が台湾へ戻るために差し向ける船に疎開者を便乗させる(3)先島から要請のある米と種もみの輸出への取り計らい―の3点を求めている。

関連するニュース

  • 関連するニュースはありません。

ページ移動

キーワード検索フォーム