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芸能の多様性追い求め

琉大「八重芸」50年余で幕

 「八重芸」と言えばあえて琉大と冠せずとも通じるほど親しまれた学生サークル「琉球大学八重山芸能研究会」が今年度で活動を終え解散した。50年を超える歴史のなかで学生らが残したものは何だったのか。考える。

 ■故郷しのんで

 「八重芸」は1967年、親元を離れ石垣島から上覇、大学生活を送る数人の学生がホームシックを克服するなか故郷をしのんで結成した「八重山民謡同好会」が前身にあたる。早くも翌年には琉大祭の一環として同体育館で第1回発表会を開催している。併せて毎年八重山公演も継続している。

 特徴的なのは、この段階から公演を前に取材活動をしていることだ。同じ歌でも四カ字で広く普及した歌い方とは違う歌い方が島々に厳然とあることに着目、その節回しなどを現地や沖縄本島在住の郷友会を訪ねて教えを請い習得している。そのために八重山の離島を中心に合宿も実施してきた。

 レコードやCDで普及した画一的な歌の世界ではなく歌が生まれた源流を探ることで芸能の持つ多様性を追求してきたと言える。そうした学生らしい研究姿勢がさまざまな成果を残している。それは節歌だけでなく民俗芸能全般に及ぶ。

 ■掘り起こしも

 てんぐのような仮面をかぶって動く小浜島の不思議な芸能「ダートゥダー」が初めて「八重芸」の舞台に上げられたのは1974年。小浜島の結願祭で奉納される芸能だが、その年まで途絶えていたという。現地取材を通じて那覇のタイムス・ホールで披露した舞台は大きな反響を呼び、期せずして復活公演となった。掘り起こし活動の典型的な例と言える。これがきっかけで、いまでは地元でもよく上演され親しまれる芸能になっている。

 こうしたユニークな活動に支えられた「八重芸」の舞台は各八重山芸能団体や最近の高校生らの全国的な活躍にも影響していると言える。歌と踊りを単体で上演するだけでなく舞踊劇風にストーリーを持たせ再構成して見せるやり方は「八重芸」によって確立されたと言っても過言ではない。

 「民謡同好会」から「芸能研究会」に改称したのは復帰の年、1972年。以後、徐々に本土出身者が部員に名を連ねるようになる。2000年代には折からの沖縄ブームも相まって県外出身者が大半を占めることも。

 ■歴史の皮肉に

 それにしても時代のすう勢とはいえ高校生を中心とした若い世代が八重山芸能に関心を抱き、ブームのような隆盛期を迎えているこの時代にその先駆けとも言える「八重芸」が姿を消すのはいかにも歴史の皮肉ではないか。八重山から琉大に進学、新たな気持ちで島の芸能を学びたいと思っても、その受け皿がないというのは寂しい。

 9日那覇での解散式にはOBだけでなく、これまで「八重芸」を支援してくれた関係者、取材協力者も招かれた。卒業以来の再会という人もいて同窓会のような空気。地謡のウタムツ(前奏)に代わる代わるフロアから踊り手が飛び出す和気あいあいとした雰囲気。乳飲み子を抱えたまま踊る若いOGも。

 いつの日か復活の知らせが届くことを期待せずにいられない表情だった。

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