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宮古島の学校で教える先生たちと一緒に、…

 宮古島の学校で教える先生たちと一緒に、台湾引揚者から話を聞く機会があった。疎開で台湾へ渡った下地啓義さん(87)=宮古島市平良下里=である▼下地さんは、すでに台湾で暮らしていた姉に面倒を見てもらい、引き揚げでは、この姉とその息子とともに宮古へ戻ることにしていた。しかし、乗船直前のトラブルで下地さんが先に引き揚げることになった。姉はそのまま引き揚げのチャンスを失い、再会を果たすのは終戦から20年以上たってからである▼終戦によっていったん出身地の宮古に戻った人たちが、ふたたび新たな生活の場を求めて島を出たことはよく知られており、その一部は八重山へやってきた。宮古からの移民が新たに開いた集落もある▼少し古いデータだが、2000年8月9日付の本紙によると、市民の名字トップスリーは①宮良②金城③砂川—である。1935年12月に当時の「海南時報」が報じた記事では、国勢調査に基づく集計として①宮良②大浜③大城—となっており、宮古でおなじみの名字は入っていない▼終戦というインパクトは宮古の人々の暮らしを変え、その波は八重山にも及んだ。戦後の変化が名字から読み取れる▼下地さんが8月15日の終戦を迎えたのは山間部の村。あさってで、その終戦からちょうど73年である。(松田良孝)

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