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台湾北部の桃園県には、アジア太平洋戦争の末期に沖縄から…

 台湾北部の桃園県には、アジア太平洋戦争の末期に沖縄からやってきた疎開者のことを覚えている人たちがいる。テントかバラックかといった、硬い屋根のないところに住んでいた疎開者もいたそうだ。食べ物に困り、野草を口にしている姿も見られた▼お話をうかがっていて思い出したのは、2014年10月に取材したフィリピン・レイテ島の風景である。前年11月に台風ヨランダが与えた強烈な打撃から復旧することができず、島ではまだ多くの人がテント村やバラックで暮らしていた▼台湾側に残されている文書を読むと、戦後困窮した疎開者たちには「琉球難民」という呼称が用いられていたことがわかる。現代の戦争によって平穏な日常を奪われた人たちを呼ぶ言葉として用いられる「難民」である▼6月23日の「慰霊の日」を過ぎると、沖縄では慰霊に関する行事がひと段落する。メディアの報道もそうである▼ただ、戦争の犠牲になる人たちの窮状は、戦争が終結した後にこそ深まると言いうる。台湾疎開の経験者たちにしてみれば、8月15日に終戦を迎えてからが本当の苦労だった人も少なくないだろう▼原因は一様ではないけれども、人道の危機をどう回避するかという命題は時代を超えて続く。アジア太平洋戦争を考える節目はさまざまにある。(松田良孝)

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