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【沖縄戦から73年~離島の戦争】④ 安里眞幸さん(82)=新城上地=

幼い日の戦争の記憶を語る安里眞幸さん=9日午前、新城公民館

幼い日の戦争の記憶を語る安里眞幸さん=9日午前、新城公民館

怖かった米軍機襲来
「戦争のない社会を」願う

 戦時中、安里さん一家は南風見へと移った。安里さんは8歳。1944年当時、県の開墾事業として新城から西表南風見への移住が進められていたが、「軍国主義の時代だったので、あれは強制だった」と記憶する。

 父・駒弥さんは、白保の陸軍飛行場の作業員として召集され、母・ケサさんと子どもたちだけでの疎開だった。

 島にはびこる戦争マラリアの猛威は家族に降りかかり、8人全員が罹患(りかん)した。ケサさんもかかったため、体の丈夫な安里さんは毎日、13歳の姉・孝子さんと水くみ。子ども二人で一斗缶を棒でかつぎ、一日に何度も水場と家を往復し、看病もした。

 「寒い寒い」。高熱を出して震える姉弟たちに、毛布を何枚もかぶせて押さえたが、震えが止まることはなかった。

 疎開先は空襲の連続だった。米軍機が襲来するたび、一家は山の中につくったかやぶきの避難小屋へ。

 「怖かったが、僕らはかやぶきがあって恵まれていた方だったと思う」。岩の下で耐え忍ばなければならない人たちもいたという。

 終戦を迎えた1945年。大原に残る人もいたが、安里さん一家は古里に帰ることを選んだ。

 家族そろって再び新城の地を踏むことができたが、当時わずか3歳だった弟の眞全さんは、マラリアで弱った体力が回復せず、生まれ島で息を引き取った。

 「悲しいとか、いつ終わるとか、そんなことを考える余裕もなかった。島中みんなマラリアにかかっていて、毎日生活するだけで必死だったから」と記憶をたぐり寄せ、「これからは戦争のないようにして、平和で住みよい社会であるように、としか言えない」と次世代に願いを託した。(おわり)

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