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【沖縄戦から73年〜離島の戦争】① 新初蔵さん(80)=西表島=

戦時中の記憶を思い返しながら話す新初蔵さん=16日午後、西表島古見

戦時中の記憶を思い返しながら話す新初蔵さん=16日午後、西表島古見

「自分の命は自分で守る」
マラリアと空襲におびえる生活

 壮絶な地上戦が繰り広げられた沖縄戦から73年。八重山では地上戦こそ無かったものの、軍艦や戦闘機からの爆撃や爆弾の投下、マラリアなどで大勢の人々が尊い命を失った。その悲惨な戦争の体験者は高齢化し、後世に語り継ぐ機会も減っている。今回は「離島の戦争」をテーマに竹富町の離島での戦争証言を聞く。

   ◇   ◇   ◇   ◇

 1945年になり西表島古見集落では米軍機の空襲が本格化した。かわいがってくれていた伯父と芋畑を歩いていると機銃掃射の「バリバリバリ」という音が迫ってくる。逃げ遅れた新さんは、畑の中でうつぶせのまま身を潜め九死に一生を得るも「自分の命が一番大事。自分の命は自分で守らないといけない」と強く思った。

 当時7歳だった新さんは、0の恐怖と空襲におびえながらの生活を送っていた。

 古見の住民は、現古見小学校裏側に設置された避難小屋や防空壕(ごう)への避難を強いられ、自宅と行ったり来たりしていた。波照間や石垣からの疎開者も避難小屋で生活した。

 住民の主食は芋だったが、日本軍に供出するため米も栽培していた。空襲がひどくなると住民らは避難小屋で過ごす時間が増え、島の西部地区から食料を求め山を横断してきた炭鉱の労働者たちに、留守宅から芋やイノシシ肉を盗み食いされた。「腹が立ったがみんな生きるのに必死だったんだ」と心情を察する。

 「私の知る限り空襲で5人は死んだよ」と深く息を吐く。空襲よりもひどかったのはマラリアで「男の人も脾臓(ひぞう)が腫れて妊婦のようだった」と目を閉じる。竹富町史によると古見では、戦時中から終戦直後にかけてマラリアで7人が命を落とした。

 病気などで徴用を免れた集落の男性たちは、竹や木を切り倒し軍に納めていた。男手が足りず手伝っていた新さんは、終戦後もしばらくヤマシャー(きこり)として木材を売ったり農業に従事した。

 古見の戦争体験者はほとんどが他界し、悲惨な戦争を知る者も少なくなった。「石垣島に居る唯一の同級生と会っても昔の話はしないよ。(思い出すだけで)つらいからね」と声を落とした。

  • タグ: マラリア
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