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八重守之塔には誰が祀られているか

八重山版「平和の礎」建立を

 ■戦死者の数の根拠

 沖縄県は5月30日、沖縄戦等の犠牲者の名前を刻銘した「平和の礎」に58人を追加刻銘すると発表した。これにより刻銘者数は24万1525人となる。八重山出身者の追加刻銘は1人の追加と削除があり、これまで通り6245人。内訳は石垣市4400人。竹富町1144人。与那国町701人である。八重山出身者の戦没者数は現在の竹富町(4302人)、与那国町(1710人)を合わせた全人口を上回る。死者を想像するだけでも恐ろしい数だ。

 竹富町戦没者慰霊碑や与那国町の平和の塔には戦没者の名前が刻銘されている。しかし、石垣市の「八重守之塔」には戦没者の刻銘がない。

 同塔は1967年に八重守之塔建立委員会が南方同胞援護会の助成を受け建立された。碑文には八重山に駐屯した部隊の死亡者670柱を祀るとある。69年には八重山市町村会、財団法人沖縄遺族連合会八重山支部が、日露戦争から太平洋戦争にいたる八重山出身の軍人、軍属、戦闘協力者、学徒隊の1000余柱を合祀した。だとすれば、八重守之塔には1670余人が祀られていることになる。

 しかし、戦没者数の根拠は何に基づくものであろうか。塔を建立した八重守之塔建立委員会(石垣喜興会長)や合祀した八重山市町村会(石垣喜興会長)沖縄県遺族連合会八重山支部(佐久真長助支部長)には根拠となる資料、名簿などがあったはずだ。根拠がないまま戦没者数を記すはずはない。しかし、現在、石垣市や遺族連合会八重山支部にも根拠となった資料や名簿などはないという。

 石垣市は毎年6月23日に、八重守之塔で全戦没者追悼式、平和祈念式典を行っている。しかし、誰が祀られているかも分からないまま式典が行われているとなると問題であろう。祀られている戦没者はもちろん市や遺族連合会八重山支部にとっても不幸なことだ。市や遺族会連合会八重山支部は早急に調査を行うべきだろう。

 ■八重山の靖国 

 八重守之塔が軍人等だけを祀り、マラリア等で死亡した住民は祀られていない。住民視点の欠如とか「八重山の靖国」だとの指摘や批判の声も多く聞かれる。

 たしかに碑文には軍や「八重山群島同胞と相携えて」とか「全将兵や関係住民が一体となり堅忍不抜の意気に燃え生死を超越しその任を全うせり」とあるが、「相携え」マラリアの犠牲となった住民は「670柱」や合祀された1000余柱には含まれておらず、御霊を慰めることばもない。指摘は正しいと言える。

 また、「殉国の偉勲」「勇士」という碑文は戦場に送り込まれ、過酷な死を遂げた人たちに与える最高の褒め言葉だとしても戦争賛美感は否めない。「八重山の靖国」との危惧するのはそこにもある。

 八重守之塔建立委員会は地元の市町村会や識者で構成されていた。にもかかわらず、このような碑文を記したことも今となっては遺憾としか言えないが、危険な戦争観が垣間見える。

 ■平和の礎

 この際、八重山でも「平和の礎」にならって、八重山に関係する民間、軍人を問わずすべての戦没者を刻銘した碑を建立したらどうだろうか。戦争体験が風化する中、遺族が戦死者とのつながりを確認でき、また平和学習の場、平和発信の場としても必要ではないか。

 「平和の礎」の刻銘者については、八重山平和祈念館で検索できる。しかし、刻銘者の情報については誤りも多い。県任せではなく遺族も一度は検索機で検索して正しい情報が記録されているか確認すべきだ。

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