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忘勿石之碑で慰霊祭 平田さんの思い受け継ぐ

1945年に西表島へ強制疎開させられた波照間島民の冥福を祈り、献花する参列者ら=15日午後、西表南風見田海岸

1945年に西表島へ強制疎開させられた波照間島民の冥福を祈り、献花する参列者ら=15日午後、西表南風見田海岸

 【西表】太平洋戦争末期の1945年に波照間島から西表島へ強制疎開させられ、マラリアなどで亡くなった犠牲者の冥福を祈る忘勿石之碑慰霊祭(同碑保存会主催)が「終戦の日」の15日、西表南風見田海岸にある碑の前で行われた。疎開当時、同海岸で子どもたちに授業をした波照間国民学校校長の故・識名信升氏の孫、信克さん(52)=石垣市字石垣=らが参列した。ことしは保存会会長だった平田一雄氏(当時83歳)が昨年12月に亡くなってから初めての慰霊祭。参列者らは恒久平和を願い、戦争マラリアの悲劇を後世に受け継いでいく思いを新たにした。

 正午から始まった慰霊祭は、参列者20人が黙とうし、次々と献花した。

 マラリアで亡くなった姉のヨシさん(当時4歳)に触れながら碑建立のいきさつなどについて説明した保存会の金武正会長代理(69)=石垣市登野城=は「地域や町に要請して慰霊祭を継続していきたい」と語った。

 戦争マラリアを語り継ぐ会の内原勲さん(68)は、平田氏が生前、保存会の存続などを危惧していたことを報告、「いかに平和が大事なのかを訴えていかなければならない。この地で起きたことを忘れることなく、(慰霊祭を)続けていきたい」と訴えた。

 信克さんは「幼いころに当時の話を聞いたことはあったと思うが、祖父や祖母は積極的に話そうとしなかった」と振り返り、「絶対に戦争の悲惨さを忘れてはならない」と話した。

 当時、南風見田には波照間島の住民1590人が疎開させられ、わずか4カ月で児童を含む85人が亡くなった。

 碑のすぐ近くにある岩に刻まれた「忘勿石 ハテルマ シキナ」の文字は、識名信升氏が刻印し、忘勿石之碑は、人名の尊さや戦争の悲惨さを伝えようと1992年8月15日に建立された。

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