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豊かな自然なくしてプーリィの意義なし

絢爛豪華の絵巻に本質を見失うな

 ■神事材料集めに苦労

 八重山は豊年祭の真っ最中である。きょうは、豊年祭最大の四カ字のムラプーリィ(村豊年祭)が行われる。

 プーリィは神に稲の収穫を感謝し、来年の豊作を予祝するものだ。

 昨日は各字でオンプーリィ(御嶽豊年祭)が行われ古式ゆかしいミシャグパーシィ(神酒囃子)や奉納舞踊でにぎわった。

 絢爛(けんらん)豪華な旗頭や芸能に目は奪われがちだが神事に供えられるミシィ(神酒)やブンヌスーと呼ばれるあえ物つくりの材料集めや調理はたいへんだ。ブンヌスーの材料はパパイア、カンゾ、ウミヒユ、ボタンボウフウ、イボクサ、ツノマタ、モヤシ等、普段目にするものである。

 しかし、イシャヌメー(イボクサ)は土地改良等で絶滅にひんしており探すのに骨が折れる。プバナ(穂花)と呼ばれる五穀も一部を除き確保するのに苦心している。近年はそのためマンゴー、パイナップル、サトウキビを穂花とし奉納しているところもある。これも時代の流れであろう。

 また、綱引き用の稲藁集めや綱つくりも大仕事だ。祭事係や婦人、青年など裏方の支えなくしてプーリィはできないことも知ってほしいものだ。

 きょうは真乙姥御嶽に四カ字がそろってのユーニガイ(予祝)。各字や公民館の旗頭が林立し、太鼓や婦人の巻踊り等、絢爛豪華な一大絵巻を呈する。

 ■旗頭は村の誇り

 旗頭は村人が神に感謝し奉納するウフクムツ(大供物)といわれる。それだけに、旗頭は心魂を込めて制作される。他村がまねることは許されない。類似のためカシラムンドウ(頭悶着)が起き騒動に発展したこともしばしばであった。

 そんなこともあり彩色された「旗頭本」が四カ字と大浜に残されている。1771年以前の豊年祭についての詳細は不明だが、大津波後の祭祀(さいし)復活に尽力したのは、1778年に王府から派遣された与那覇朝起在番といわれる。祭祀や芸能は村人の心を一つにし、熱狂させる。与那覇在番はそんな施策をとり、うちひしがれた島民を鼓舞したのであろう。

 『登野城村旗頭本』によれば1780年に登野城と大川村の綱引き勝負が行われ、その際、立てた旗頭の絵図も記されている。与那覇在番は同年王府に戻ったが綱引き勝負は彼の功績であろう。

 現在、古見、小浜、新城、宮良で行われている「アカマター神事」は1768年に風俗の妨げとして禁止されたが1793年に解かれた。苦難の歴史のなかでも精神のよりどころである祭祀が継承されていることに感動を覚える。

 ■天恵豊かな島に

 本日の真乙姥御嶽では新川の古式ゆかしい巻踊りや五穀の授受、女性だけの綱合わせ等が行われる。

 巻踊りは稲作のは種から収穫の喜び、次年に向けての田打ち作業が歌や舞踊で表現されている。

 その後に、神から五穀が授受され、女性だけの雌雄の綱合わせが行われる。綱は龍の化身で水神でもある。結合は豊じょうの象徴とされる。巻踊りにつながる円環による見事な演出だ。

 旗頭や旗文字、巻踊りには八重山人の世界観や宗教観、美的感覚等が表出されている。

 ところで、各御嶽からは水元のオモトテラスの神への祈願がなされるが、於茂登前山の麓には地域住民の反対を無視し自衛隊基地計画が、前勢岳にはゴルフ場計画が進んでいる。自然破壊は八重山人の神々を冒涜(ぼうとく)し祭祀や精神文化が汚されることでもある。

 いつまでも「天恵豊」でありたいものだ。

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