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国民主権・人権尊重は譲れない

露骨さを増す時代錯誤の再評価

 ■国を誤らせた教育勅語だよ

 今の政治権力の動きからある程度予想できたが、それでも教育勅語を学校教材に使うことを容認した政府答弁には驚かされた。新年度始まって早々のタイミングである。先立つ3月の参院予算委では「安倍首相の秘蔵っ子」稲田防衛相は教育勅語に関連して「日本が道義国家を目指すべきだという核の部分は取り戻すべきだ」と持論を述べた。道義国家の核の部分は教育勅語にあるというのだ。答弁書を踏まえ松野文科相は「どう教えるかは、憲法に反しない限りは(中略)問題があれば所轄庁、所管庁が指導すると考えている」とするが、歯止めは利くのか疑問だ。「歴史を多面的に考える材料にするのが問題とは思わない」教員が一方で「政府答弁で教育勅語の内容にお墨付きが与えられたと誤解して、賛美するような教員が現れるかもしれない」と指摘する。忖度(そんたく)も危惧される。一強安倍の悲願は「戦後レジームからの脱却」。その最たるものの一つが教育勅語再評価である。

 ■再評価の余地はないはずだ

 1948年の衆参両院は教育勅語の「排除」「失効」を決議した。国民を戦争に駆り立て、赤紙、学徒出陣などで甚大な犠牲を強いたその「教え」は全否定されたのだった。その重い反省が日本国をして国民主権や人権尊重などを絶対的価値とした。

 教育勅語の呪縛・制約から解き放たれた八重山の人々の手記、あるいは当時を回想したものを読むと、解放感や生きている喜びをしたためたものが少なくない。貧しいながらも自由な気風のもと、若者たちの多様な才能やみずみずしい想像力の発露が八重山ルネサンスと呼ばれる出色の文芸運動を興した。白保の白百合クラブ楽団等の演奏や青年会の自作自演の演劇が地域住民を楽しませたとの新聞記事も見られる。戦前の国家主義の時代の新聞には、そういうほのぼのとした記事はない。いかに国策に忠実であるべきか一辺倒だ。「一旦緩急アレバ」身命を差し出すことを強要する国家のどこがいいのか。教育勅語が再評価される余地はない。

 ■歴史に目を閉ざしてはならない

 教師には歴史を直視しつつ子どもたちに民主主義思想の素晴らしさ、かけがえのなさを説くことが求められる。教師自らの理想を語りつつ子どもたちに明るい希望に満ちた未来像を描かせていただきたい。民主主義に限界のないこと、課題の一つ一つは民主主義の深化により克服されるものであることを伝えていただきたい。

 ところで教師を指導・監督する立場の石教委が歴史を直視せずに前評判の高い副読本の刊行・配本を中止したのは残念だ。横やりが入ったようだが、それに屈したのだろうか。それとも政治状況を勘案して中止が無難だと判断したのだろうか。一貫性のない一連の対応ぶりからは市教委の毅然(きぜん)とした姿勢はうかがえないし、市が児童生徒に向き合っているとは考えにくい。副読本執筆者の一人が書くように「自治体が作る副読本は、郷土で何があったのかを直視することが大切だ」ということだろう。横やりを入れた側だが、程度の差こそあれ教育勅語を再評価する立場にあるのではないだろうか。

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