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尖閣近海の平穏願う 慰霊祭で犠牲者の冥福祈る

尖閣列島戦時遭難事件の犠牲者の冥福を祈った遭難者遺族会の慶田城用武会長=3日午後、石垣市新川

尖閣列島戦時遭難事件の犠牲者の冥福を祈った遭難者遺族会の慶田城用武会長=3日午後、石垣市新川

「尖閣列島戦時遭難事件」

 1945(昭和20)年7月3日に尖閣諸島近海で、石垣から台湾向けの疎開船2隻が米軍機の銃撃を受けて多数の犠牲者と遭難者が出た「尖閣列島戦時遭難事件」から71年目を迎えた3日、遭難者遺族会(慶田城用武会長)は新川の舟蔵にある慰霊碑前で慰霊祭を行った。慶田城会長(73)は、尖閣を取り巻く情勢に懸念を示しながら「尖閣近海が平穏であることを願っている」と述べ、犠牲者の冥福を祈った。

 約50人が参列した慰霊祭で慶田城会長は、石垣島への陸自配備計画や日中関係に触れながら「石垣市は日本の領土、主権を守るためとはいえ、自ら進んで捨て石になってはならない」と述べ、「日中が共に東シナ海ガス田を開発すれば尖閣近海は紛争の海から平和の海になる。石垣市の平和と経済発展のために国へ進言してほしい」と求めた。

 八重山市町会会長の中山義隆石垣市長(漢那政弘副市長代読)は「尖閣で起きたこのような歴史を風化させることなく、後世に正しく伝えていきたい。次代を担う子どもたちへの平和教育をはじめ、世界の人々が相互に理解しあえるよう今後も全力で平和行政に取り組んでいく」とあいさつした。

 同事件は、疎開船の第一千早丸と第五千早丸が、米軍機から機銃掃射を受け、第五千早丸が多数の死傷者を出しながら沈没。機関が故障した第一千早丸は魚釣島に漂着したが約1カ月を過ごす中で餓死者も出た。遭難者の一部が小舟で石垣島へ渡って助けを求め、45年8月19日に残る生存者が石垣に戻った。両船には180人余が乗っており、慰霊碑には約80人の氏名が刻まれている。

  • タグ: 尖閣列島戦時遭難事件慰霊祭
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