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尖閣戦時遭難事件から70年 「川平の神様が引き寄せてくれた」

決死隊が到着した海岸で、70年前の偉業に思いを巡らせる金城珍良さん=14日午前、川平底地

決死隊が到着した海岸で、70年前の偉業に思いを巡らせる金城珍良さん=14日午前、川平底地

決死隊の偉業に思い新た 小舟造り、丸2日カイをこぐ

 台湾に向かっていた疎開船2隻が尖閣諸島近海で米軍機の銃撃を受けるなどして多数の犠牲者を出した1945年7月3日の尖閣列島戦時遭難事件で、漂着した魚釣島から連絡決死隊が小舟で石垣島に向かい、川平の底地海岸に到着してから70年を迎えた14日、決死隊のメンバーだった故・金城珍吉さん(当時26)の長男、珍良さん(69)=新川=が同地を訪れ、「大変だったんだろうな」と思いを巡らせた。

 同事件では、約180人を乗せた第一千早丸、第五千早丸が米軍機の銃撃を受け、第五千早丸は炎上沈没、第一千早丸は機関故障で航行不能となったが、第五千早丸の機関長、金城珍吉さんらの修理で回復、魚釣島に到着した。その後、第一千早丸は救助を求めて石垣島に向かったが、エンジンが故障して放棄され、遭難者は連絡手段を失った。

 「このままでは栄養失調でみんな死んでしまう」と、船大工の岡本由雄さん(同33)を中心にして船を造ることに。難破船の板をはがし、くぎをぬいて材料を確保、5㍍ほどの船を完成させ、反物で帆も作った。

 決死隊は金城さんのほか栄野川盛長さん(同18)、伊礼良精さん(同18)、上原亀太郎さん(同21)、伊礼正徳さん(同19)、見里勇吉さん(同17)、見里清吉さん(同20)の船員ら7人に軍人2人の計9人で編成された。

 9人は8月12日夕、出発。石垣島までは約180㌔。途中、米軍機が飛来したため、船を転覆させ、遭難船を装って難を逃れた。これが3度あった。丸2日間、櫂(かい)をこぎ続け、14日午後7時ごろ、川平底地に着いた。

 9人は疲労困憊(こんぱい)でしばらく歩けなかったが、力を振り絞り、川平に駐屯していた部隊に救助を要請。18日、救助船3隻が魚釣島に到着し、遭難者を救助した。遭難者名簿によると、生還者は90人近くだった。

 決死隊が到着した場所の近くには海に面して拝所があり、金城さんは戦後、「川平の神様が決死隊を引き寄せてくれた」とお礼参りにしばしば訪れ、手を合わせていたという。

 珍良さんは「決死隊が川平に到着していなかったら、魚釣島の遭難者は全滅していたかもしれない。あらためて決死隊の偉業をたたえたい」と話した。

  • タグ: 尖閣列島戦時遭難事件川平底地海岸
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