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台湾と新たな交流促進へ

石垣市が初の駐在職員派遣

■戦前から相互交流続く

 台湾と八重山は、地理的に近く、深い交流の歴史を背景に緊密な関係を保ってきた。1895(明治28)年から第2次世界大戦終戦の1945(昭和20)年までの50年間、日本が台湾を植民地支配していたことによるさまざまなへい害がありながらも、戦前戦後を通じて文化、経済面で多様な相互交流が行われてきた。

 八重山の人々の生活を支えるパインアップルは戦前、台湾から持ち込まれ、その後八重山の基幹産業として成長した。

 戦後、1963(昭和38)年に、台湾からパイン栽培技術者や缶詰製造作業員が来島し、一時は多くのパイン缶詰工場が稼働していたことは、記憶に新しい。日本政府が71(昭和46)年に冷凍パイン輸入自由化を実施し、パイン産業が斜陽化するまで、パイン缶詰製造は、八重山における産業経済の中核として地域経済を担ってきた。

 また、田畑の耕起のために活躍していた水牛は、戦前に台湾から移入されたものである。これらの内容については「龍の舞い~八重山パイン物語」(三木健著 八重山台湾親善交流協会発行)や「石垣島で台湾を歩く」(沖縄タイムス社発行)など著作に詳しい。

 

■9月に員林芸能団公演

 ここ数年、行政や民間の交流への取り組みにも注目すべき動きが見られる。石垣市は、初めての海外駐在員として、沖縄県産業振興公社台北事務所の副所長として、市企画政策課の小笹俊太郎氏を派遣した(本紙5月3日)。行政の前向きで熱心な取り組みとして期待したい。

 また、与那国町は、82(昭和57)年に、花蓮市と姉妹都市を締結し、交流を重ねている。「台湾との関わりは、与那国島の成り立ちを考える上で欠くべからざる重要な柱の一つです」(「与那国台湾往来記」松田良孝著、南山舎刊)との指摘の通りだ。

 民間レベルでの交流も盛んになりつつある。2013(平成25)年4月に結成された「八重山・台湾親善交流協会」は、戦前に台湾から八重山に入植された人々によって生産が始められたパインアップルや水牛の導入が、戦後八重山の農業、経済発展に大きく寄与したことに感謝するとともに、八重山、台湾親善交流を深めるための活動を行っている。

 13年7月に同会が主催し、彰化県員林で開催された「八重山の歌と踊り」公演は立ち見が出るほど盛況であったという。8月には「台湾台東民俗芸能公演」が浦添市で、9月には石垣市で員林芸能団の公演が予定されるなど、さらに交流が活発になっていくようである。

 

■十分でない受け入れ態勢 

 その中で、課題も見えてきた。距離にして与那国から111㌔、石垣から236㌔という近さではあるが、必ずしも交通網が整備されているとは言いがたい。言葉の問題もあり、相互のコミュニケーションが十分取れていない側面もある。スタークルーズ船、フライトチャーター便の運航などで、台湾からの入域者は着実に増えているが、受け入れサイドとして十分に対応し切れていない。

 これまでの交流に加え、交流団体相互の連絡組織の結成が不可欠である。行政側の積極的な取り組みに加え、民間サイドも明確な動きが出てきており、官民の合致したさらに密接な交流を期待したい。

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