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50周年までには開館を

再び動きだした新博物館建設計画
■40周年迎えた市立博物館  石垣市立博物館(宮良信世館長)が40周年を迎え、17日記念式典が催された。同式典では郷土史家の故喜舎場永殉氏の孫2人から市に八重山だけでなく、琉球史研究に大きな影響を与える貴重な歴史資料460件が贈られたほか、逆に市からは59個人や8団体に感謝状が贈呈された。  中山義隆市長は「私たちには先人が育んできた民俗文化や知恵を次世代に継承する義務がある」と感謝を述べたが、確かに同博物館は八重山の歴史、民俗、自然科学などに関するモノや資料を収集・保存して次世代に継承するとともに、これらを調査・研究し展示することで地元や観光客など県内外の人々に広く八重山の歴史や自然などを紹介。八重山の歴史的魅力を見いだしアピールする場になっている。  こうした博物館の果たす役割と手狭で老朽化した今の博物館の現状を考えると、庁内に関係部課長で素案作り委員会を設置。再び動きだした新博物館建設計画は、遅くとも10年後の50周年の節目となる22年までには開館できるそういう計画づくりを求めたい。 ■98年に新博物館計画  現在の市立博物館は1972年10月に本土復帰記念事業として、旧市役所跡地に建設された。名称を「八重山」としたのは郡内全域の貴重な文化財資料の散逸を防ぎ、八重山全体の財産として収集・保存するためだった。  以来八重山で唯一の博物館として歴史資料の寄託や寄贈を受けて保存収集を進める一方、こうした資料の収蔵品展をはじめ各種展示会や講演会、子ども博物館、中学生対象の郷土史講座などを開催してきた。  ところが収集・保存が進むにつれて保管庫や展示スペースなど施設が狭隘になり、さらに観光客らの駐車場がないなど立地的な問題も浮上。そこで新八重山総合博物館(仮称)構想が20年目の93年ごろから持ち上がり、基本計画が98年5月、96年12月に設置された同計画策定委員会(宮城信勇委員長)から約1年半の審議を経て当時の大浜市長と仲山忠亨教育長に答申された。  同基本計画は、場所をバンナ公園ふもとの八重守の塔西側の市有地とし、そこにミュージアムショップやレストラン、プラネタリウムなども併設した約7千平方メートルの博物館本館を建設し、さらに八重山民家園、昆虫園、野鳥サンクチュアリ、岩石園、植物園、池、川などを設置するというものだ。 ■八重山の魅力アピールする施設  その基本的コンセプトは、「地域に根差し地域に奉仕する博物館とするとともに、アジアの中の八重山を知るテーマパーク的な知的エンターテイメント施設」を目指す観光産業にも大きく貢献が可能な壮大なものだった。  しかし結果はその壮大さが逆に財政面で大きなネックとなり、計画は現在まで棚上げとなっている。  そこで市教委は昨年1月、答申後の社会情勢を踏まえた同博物館構想の見直しが必要として要綱を施行。現在庁内に関係部課長で素案づくり委員会を設置。同委員会は答申された基本計画もベースに見直し作業を進めている。 市教委では次年度に基本構想委員会を立ち上げ、財政面や津波などの防災面なども加味しながら「早急な建設」を目指すが、遅くとも50周年の節目までの開館を目指すべきだ。  奄美大島は空港跡地利用で、76億円の巨費を投じて鹿児島県立の「奄美パーク」を田中一村美術館も併設して建設した。石垣市も財政難だけに巨費を投じた県立博物館・美術館の分館的な役割で県立誘致も模索すべきだろう。
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