Category: 社説
Tweet「預かり保育」は試金石
■極少子化に向かうわが国
感覚的、気分的な域は出ないが、このところ、わが国の国力は落ちているといっていいのではないか。GNP第3位への転落、BRICsの台頭もあるが、他国と相対的に比して言っているのではない。
国威を示した東京オリンピック、昭和40年代の高度経済成長、国際的評価を得た大阪万博などを思えば自然にそういう詠嘆(えいたん)に陥る。この30年余で国民全体からたくましさというものが剥(は)がれ落ちたからか。
確かに政治の努力により社会資本は充実し、福祉は整い、教育はあまねくゆきわたった。その結果、社会文化は向上し国民は豊かな生活を享受している。だが、未来への展望を見い出せないのはなぜだろうか。社会全体がスマートになり、国民一人ひとりの覇気が弱まっているからか。ともかく不屈の意気の香がほしい。
では、私たちはその主たる因をどこに求めたらいいだろうか。ここでは「少子化」に求めたい。国家も家庭も将来を託せる子どもがいなければ未来像は描けない。
なぜこうも子どもが減ったのか。我が国の総人口に占める割合は次のとおり(平成19年4月現在)。6~8歳児2.8%、3~5歳児2.7%、0~2歳児2.5%。
かつては都市、鄙(ひな)を問わず子どもが多かった。喜々としていた。教室いっぱいに机があり数クラスもあった学年。全校集会では運動場いっぱいに広がり、地面が見えないほどであった。貧しくはあったが、児童生徒は明るかった。多少粗野な行動はあったが暴力はなかった。そして、まだ「末は博士か大臣か」の気風があった。
■働く環境の整備で
社会が上質になり高度化し、個々人の生き方の価値観が多様化し往時に帰することはかなわないだろう。だが、意識を変えることで子どもをたくましく育てることはできる。そして、支援策があれば極少子化に歯止めをかけることは可能だ。
国家の根源は人。その集合体があって体をなす。それには個人だけの思いや懸命さだけでは限りがある。行政の手助けが要る。現在、政府では少子化担当大臣を配するなど、その対応に努めているが成果が伝わってこない。結局、少子化は個人に帰する問題であるからして、より近くにある各自治体の積極的な政策や勤勉さが必要だ。
そのひとつに「預かり保育」がある。現在、石垣市では公立幼稚園8園で実施、88人が利用している。152人が認可外保育園で午後の保育を受けているという。
幼稚園に入園させるも午後をひとりにして働くことはできない。経済生活に不安を残して第2、3子を考えることをためらう。これが心情ではないだろうか。そこで、「預かり保育」の拡大希望がある。しかし、保育園との関わりがあって容易ではない。
■より積極的な支援策を
市教育委員会は保育園側と意見交換を持つなど積極的。その中で保育園側は「子どものことを考えると一つの場所(幼稚園)で過ごすことが望ましい。これが心身の発達、情緒の安定になり学力の向上につながる」と高い見識を示すも、その拡大は保育園の死活問題だ。保育料の高い保育園を避け「預かり保育」に流れ経営を圧迫することが十分予想されるからだ。このことで、市議会での石垣涼子議員の一般質問に前花教育部長は(補助金を)子育て支援の一案として検討したいと踏み込んでいる。
保育所~幼稚園~(預かり保育)~小学校へのルートを整え、働く環境を整備するといった行政サイドの支援が欠かせない。
放課後の児童を預かる「学童保育」にもそのことが言える。安心安全をはじめとして子どもを育てる環境が整っていなければ子育てはかなわない。つまり、少子化の改善は望むべくもない。
政治は遠いところにあるものではない。一寸先に存在する。市民目線は目の高さを同じくするものではなく、市民の思いに同化することをいう。
具体的で鋭敏な支援策を打ち出し極少子化社会を阻みたい。手始めに「預かり保育」を拡大し、「学童保育」の推進を後押ししたい。