6月
25日
2011

最近の教育2題

Category: 社説



家庭訪問の取り止めと子ども演劇公演

■役割を失う家庭訪問
 学校年中行事の家庭訪問を取り止めた学校がある。授業時数の確保がその理由のようだ。
 NHK朝の連続ドラマ「おひさま」で家庭訪問の場面があった。主人公の陽子先生がもてなしとして出された苦手な「蜂の子」を好物と言ったため、どの家でも振る舞われるはめに―。実に素朴で、家庭と担任と子どもの心がふれあうシーンであった。

 かつては八重山でもそうであった。日ごろ、担任と話す機会の少ない父親は「訪問は最後にしていただきたい」と暗に酒のもてなしを口にしたものである。教員が尊敬され、社会的地位も比較的高く、信頼と威厳のあったころのことである。そして、このような社会背景の中での教育はうまくいっていたように思う。近年、そういった学校文化の土壌が崩れ、時に、教員と保護者がいがみ合い対立することもしばしばある。そんな中での「家庭訪問」は教育を進める上で奏功しない。それに、家庭訪問そのものがその役割を失いつつある。
 その一つに、通信やお便り等の豊かな活字文化により学校から家庭への連絡手段が向上したことがある。また、少子化社会が作用して保護者と担任とのつながりが密になった。保護者の学校への関心が深まった等もその理由として挙げられよう。加えて担任がいつでも家庭を訪れることができる環境が整っている。

■やはり授業時数の確保だろう
 窮余策として、時間短縮のため玄関先ですますとか、希望のあった家庭だけに止めるでは形式的なものに陥ってしまう。三者面談では家庭訪問の体をなさない。
 取り止めを受けて保護者には戸惑いや不満があろうが、ここは学校側に与(くみ)したい。費用対効果で考えよう。費用を「授業時数確保」と「家庭訪問」、効果を「教育的成長」とする。授業時数を確保せず家庭訪問を優先すれば学習の積み残しが生じ、学年相応の学力なきまま進級する、ということが予想される。逆の場合、「家庭訪問」の補完は可能だからだ。
 子どもの成長にいかに授業が大切かということを教師も保護者も認識を新たにしたい。

■子ども演劇を観光資源にしていいか
 子ども演劇「オヤケアカハチ」を観光資源にということで公演(「『オヤケアカハチ』による観光活性化事業実行委員会」)が実施された。10月までに6回もの公演が予定されている。去る12日に第1回公演があった。このことに疑問を禁じ得ない。
 そもそも子ども演劇は、青少年に豊かな体験活動と表現力の育成を-という県教委社会教育目標を受けて県立石垣少年自然の家(当時)が始めたものである。
 その際、離島の子どもに演劇体験をとの意見が高じ取り入れられたという経緯がある。平田大一さん(現県観光文化スポーツ部長)の指導があって演劇やダンスをとおして表現力が高まり公演をするまでになった。その後、毎年、12月には定期公演をしている。その間、所期の目的は達成されたということで教育関係機関の手は離れた。

 青少年の体験活動を重視して出発した「子ども演劇」はいま、その純粋さを失っているのではないか。半ばショー化され、舞台を夢見る子どもたちの心をくすぐったのが今回の観光客向けの6回にもおよぶ公演だと考える。子どもの活動は教育の香りを放たなければ俗に堕するおそれ多しとなるものである。

 未発達の児童生徒は、目の前の楽しいことに夢中になる。制御を知らず直進する。それがすべてだと思い込む。そのことは音楽やダンスなどに顕著に出る。「オヤケアカハチ」にもそのようなところがあるのではないか。現在、小中学生のあこがれの「AKB48」という音楽界を席巻する勢いのアイドルグループがあるが、それに似ていなくもない。
 親はわが子の変容に驚く。そして、無批判になり理性をなくしたのが今回の子ども演劇の観光資源化に思えてならない。観光客の誘客という大人社会の都合に、果たしてこの子ども演劇を誘引していいものか。疑問符を付けないわけにはいかない。

 公演には多くの時間を要する。練習や打ち合わせを含めると相当な時間だろう。学校生活にも支障が生じることだろう。子どもたちを落ち着かせ学習に向かわせたい。
 市を挙げて子どもたちの生活のリズムを整えさせ学力向上に向かっているさなかにある。その船頭役の教育委員会はこの公演をどう見ているだろうか。

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