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八重山の食文化を見直そう

大切にしたい先人の経験と知識
■質素で満ち足りていた食生活  今から50年前の1960年(昭和35年)12月。ある一家の夕暮れ時を想像してみよう。夕暮れ時の井戸端では畑から帰ってきた父親が手足をそそぎ、母親が夕飯の芋を洗っている。男の子達は、馬にハミ(芋を煮て作ったえさ)を与えたり、山羊小屋に草を投げ入れ、女の子は豚の世話だ。一番座に裸電球が灯され、母親はトーラ(台所)のかまどに火をくべる。  夕食は、あっこん(さつまいも)とカーガスイズ(魚の干物)でだしを取ったアーサ汁に、お祖父さんが取ってきたフクルベ(かわはぎ)の煮付け。スタディ(自家製醤油)、パイル(自家製酢)やアンダ味噌などが添えてある。子供達が学校でおこったあれやこれやの話で騒々しいので、母親が微笑みながら静かに食事するようたしなめる。  およそ50年前のごくありふれた一家の夕餉(ゆうげ)はこのように質素なものであった。まだガスコンロなどは普及していなかったので、「文化かまど」に薪をくべて食事を作るのが普通であり、身近にある材料を手間ひまかけて、可能な限り食卓に並べる。当時の食生活は、身の回りにある質素な食材を、先人から受け継いできた知恵を生かし時間をかけ、工夫をこらして質素でも満ち足りていたのである。 ■優れた食文化を次世代へ  八重山は、ユンタ、ジラバ、節歌、踊りなど、県内の他地域に比較しても、広くて深い文化を育んできた地域であることはよく知られている。その上、興味深いことに、食文化に対しても優れた触覚を有していた。人々は、身近にある材料を最大限に活用する知恵と根気に支えられた味覚・嗅覚を供えていた。貧しい日常を豊かに彩る工夫を怠らなかったのだ。  今日でも、八重山で日常的に食されている独特の食材は数多い。よく知られているのはサラムシル(オオタニワタリ)の新芽、アダニヌフク(アダンの芯)そしておなじみのピィパーズなどであろう。  サラムシル(オオタニワタリ)の新芽は、沖縄本島など山野に数多く自生しているが、食べられること自体知られていない。アダニヌフクを食べる話をするだけで、奇異な目で見られるし、八重山の伝統食文化の代表格ピィパーズも、他の地域では殆ど見向きもされない。  最先端のグルメ情報は身の回りに氾濫(はんらん)しているが、先人が地を這うような労苦の末に長い時間をかけて育んできた古い食文化については、ほとんど見向きもされず、はるか彼方の記憶としてだんだんかすんでいく。  つい半世紀前まで、八重山の人々は、タークブ(水おおばこ)、ナバ(茸)、パノール(じゅず藻)、マンジュマイぬムトゥ(パパイヤ樹の幹)ターンナ(タニシ)やツダミ(カタツムリ)のお汁などをごく普通に食べてきた。そのまま手をこまねいて見ていては、これらの経験や知識も消えていくだけだろう。 ■食文化に誇りを  本年8月に策定された「石垣市観光基本計画」では、「石垣市の豊かな自然や地域の顔が見える優しい料理を味わい」とやや漠然とした表現はあるものの、優れた八重山の食文化をきちっと評価せず方向性も示していない。  何も「50年以上前の質素な食生活に戻ろう」と時代錯誤を言っているわけではない。先人が長い時間をかけて築いてきた食文化に心から敬意を表し、知識、知恵として次の世代へ継承していく手立てはないものか。長い歴史を持つ素晴らしい食文化を記憶の彼方に追いやられるままにしてよいのだろうか。  戦前戦後の混乱期に食べ物と苦闘してきた古老の舌や手の感覚が記憶している今こそ、八重山食文化に誇りを持ってきちっと聞き書きをし、文章として、音や映像として記録することで先達の労苦に報いるとともに、次へ引き継ぐ責務があるのではないだろうか。活字、映像として体系的に記録し残す、更に行祭事に組み込んで再現する方法など、伝統的な食文化を敬う心を年の瀬の一場の夢とせず、公的機関を中心に具体的な取り組みを期待したい。

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