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旧大浜村の避難所訪ねる 戦争マラリア遺族会が初めて催す

悲惨な歴史を後世へ
 戦争マラリア避難所めぐり(主催・八重山戦争マラリア遺族会、共催・八重山平和祈念館)が29日行われ、遺族や一般市民ら約30人が戦争マラリア犠牲者が一番多かった平得・真栄里(旧大浜村)地域の避難所を訪ね、戦争の悲惨さと平和の尊さを再確認した。  戦争マラリアの避難所は白水地域がよく知られているが、それ以外にも多数の避難所があったことを伝えるため、今回、遺族会として初めて実施した。  今回の避難所めぐりでは、旧大浜村の指定避難所だった於茂登岳ふもとの武名田原やオオタバル、ピナダ(名蔵)、平得山田、トゥンナーラーなど平得・真栄里地域の避難所を約5時間かけて回り、各所で実際の避難体験者から当時の話を聞いた。  武名田原では、旧大浜村の水源地が近くにあり、そこが避難所として指定されたと説明を受けた。  リースン道路近くの仲田原では、5、6歳当時に避難し、弟が避難所で生まれたという細工忠郎さん(70)が「目の前に水田があり、そこからタニシやフナなどを捕って食べた記憶がある。空襲時にはみんなの迷惑になるので母親と赤ん坊は避難所から離れ、アダンの中に隠れ、飛行機がいなくなったら戻ってきた」と話した。  細工さんはまた、武名田原の避難所についても「長屋があり、そこで敵機が現れると皆で火を消してやり過ごしていた」と振り返った。  参加した宮良純一郎さん(60)は「こんな所(山の中に)にほったて小屋を作り、過ごしていたことを考えると当時の悲惨な状況がうかがわれる」と話した。また、遺族会の前津栄信副会長は「戦争マラリアの避難所は白水だけだと思われているが、最も死亡率が高かった平得・真栄里の人たちの避難場所を忘れてほしくない」と述べ、今後、白保や宮良、大浜など旧大浜村の避難所めぐりを継続する考えを示した。
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