7月
24日
2010

漢字増加は情報化社会への対応

Category: 社説



文字は「書く」から「打つ」へ

■新常用漢字表の答申
 新常用漢字表(仮称)が文化庁文化審議会から文部科学大臣に答申された。年内にも内閣告示されるようだ。漢字が増えたことを良しとしたい。それだけ表現が豊かになり、制約なく意を伝えやすくなるからだ。
 追加された漢字に「緻」「蔑」がある。社説ではこれまで、例えば、「ちみつ」は「ち密」、「けいべつ」は「軽べつ」と交ぜ書きで表記していた。あるいは「緻密(ちみつ)」「軽蔑(けいべつ)」と表した。告示後は「緻密」「軽蔑」と書くことが可能になる。視覚的に後者の方が意が伝わりやすい。
 しかし、漢字は単に増えればいいというものではない。常用漢字表は、法令、公用文書、新聞、雑誌等、一般の社会生活で用いる場合の、効率的で共通性の高い漢字を収めている。つまり、分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安。高度化する情報化時代に対応した制定といえる。

 46年制定の当用漢字表は1850字、81年の常用漢字表は1945字、今回の新常用漢字表は2136字(5字削除、196字追加)。当用漢字表から286字の増加となる。
 これは漢字を教わる児童生徒にとっては大きな負担となろう。先に述べた「緻」「蔑」などを習得するには、それなりの努力を要するはずだ。それではなぜ追加されたのか。日常的な生活で、「書く」ものから「打つ」ものへと急速な勢いで拡大しているからである。

■「読める」が「書けない」?
 パソコン(ワープロ)の普及は文字活字の生活環境を大きく変えた。ペンで「書く」作用は激減し、ワープロで「打つ」ことが増大した。
 確かにワープロの文字は整然として読みやすい。文章書きが速く疲れない。機能も多い。消去や書き加えも瞬時にしてできる。また、漢字を覚えていなくても、あるいは忘れた場合でも読むことさえできれば「打つ」ことができる。「書く」行為より「打つ」作用の方が上を行っていることは明らかだ。このような状況変化を見てとっての新常用漢字表の制定と見ていい。
 だが、そういう便利さの中で失っているものもある。読めるが書けないー多くの人がそう感じていることだろう。「書く」行為が生活の中から遠ざかれば「読む」ことはできても「書く」ことができない。視覚だけの世界に文字が閉じ込められる。そういう文字生活環境が出来上がることを危惧(きぐ)する。文字文化の消失と言ってもいいのではないか。
 世界でも特異な文字文化を持つ我が国。「読む」と「書く」は表裏一体と見る国語教育を衰退させてはいけない。学校での「書写の時間」も十分に確保したい。
 今、八重山における書道の普及は頼もしい。

■原稿用紙は思考のとりで
 生活の中に「書く」行為を取り戻すにはどうすればよいか。日記をつけることもそのひとつだろう。パソコンに慣れた今では大変だろうが、手書きのはがきや手紙も勧めたい。学校での、原稿用紙を使った作文指導はいよいよ重要度を増してくる。
 型にのっとって書く。書いたり消したりする。推敲(すいこう)を重ねる。思考の跡がマス目に残る。思考が広がる。そんな思考の世界を児童生徒につくってやりたい。考える力の育成はそんなところにもある。
 色鉛筆で推敲を重ねた司馬遼太郎、毛筆で書いた谷崎潤一郎、かな行書体の樋口一葉の原稿。今後、そんな作家の直筆作品がなくなることは日本文化の喪失といっても過言ではない。

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