6月
23日
2010

届かぬ沖縄の訴え

Category: 社説



きょう慰霊の日、未来永劫背負わされる米軍基地

■日米安保もきょう発効50年
 きょう23日は、20数万人の命が奪われたあの沖縄戦が終結してから65度目の「慰霊の日」である。この日は県内各地で「2度と再び戦争を起こしてはならない」の願いを込めて戦没者追悼式が行われる。

 八重山でも石垣市の八重守の塔はじめ竹富島、与那国、そしてバンナ岳ふもとの戦争マラリア犠牲者の碑などで戦没者追悼式や慰霊祭がしめやかに行われ、平和への誓いを新たにする。
 しかしこの日は、くしくも沖縄に現在の米軍基地を固定化し、沖縄県民を絶えずほんろうし続ける新しい日米安保条約が発効した日でもあり、今年50年を迎えた。

 敗戦後の日本は51年のサンフランシスコ講和条約で独立したが、沖縄と奄美諸島は逆にこの条約で米国の支配下に置かれた。それから27年後、沖縄は「米軍基地の即時撤去」「平和な島」を求めて長い復帰運動の末にようやく本土に復帰した。しかし復帰してからも36年、現実はどうか。

■裏切られ、失望と怒りと
 本土決戦の時間稼ぎのために「捨て石」とされた沖縄戦で県民の4人に1人が犠牲になり、焦土と化した日本国土のわずか0.6%の面積の沖縄に、日本全国の75%の米軍基地が集中。県民はその基地から派生する事件・事故さらに今も地中に残る不発弾で常に命の危険にさらされ続けてきている。
 しかもそれは日米安保と抑止力を盾にした日米両政府と、基地負担を分かち合おうとしない日本国民に押し付けられたものでもある。

 このような中で普天間移設問題では昨年夏の衆院選で政権交代を果たし、「最低でも県外」を主張した鳩山民主党政権に県民は「沖縄がようやく変わる」と大きな期待をかけたが、わずか8カ月後にこの期待は失望と落胆、怒りとむなしさに変わった。
 まさにブーメランのごとく普天間の移設先は自民党政権が米と合意した名護市辺野古に戻ったのだ。それも琉球新報と毎日新聞が共同で行った世論調査で県民の84%が辺野古に反対しているのに、その民意をまったく無視したうえに沖縄の頭越しに日米で勝手に発表した共同声明は県民にとって許しがたい暴挙といえよう。

■いつ届く沖縄の訴え
 沖縄の基地問題は自民党政権に絶えず裏切られ続けてきたが、今回また民主党政権にも裏切られた。民主党政権は、県民に過度の期待をさせたぶんもっとたちが悪いといえる。県民は一体誰をどの政党を信じればいいのか。
 そして戦後65年たってもまったく変わらないこの基地の現実を、沖縄戦で犠牲になった泉下の人々はきっと悲しみ、憤っているだろう。

 きょうの県主催の慰霊祭に出席する菅首相は、その皆さんに何を語るのだろうか。施政方針演説通りに「辺野古移設」を述べ、紋切り型に沖縄の負担軽減をまたも語るのだろうか。
 しかし仲井真知事も言うようにそれで納得する県民は少ないだろう。これから自民党政権時と同じように、「普天間の危険」を固定化したまま反対運動と振興策をめぐっての対立が再び県民の間に出てくるのが怖い。

 沖縄はこのまま際限なく、未来永劫(えいごう)米軍基地を背負わされるのか。それはあまりにも酷というものだ。市民運動出身の菅首相は、沖縄の訴えに多少なりとも耳を傾け、国外あるいは全国の知事らと負担の分かち合いを具体的に進めることをぜひ「慰霊の日」にあたって語ってほしいものだ。

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