1月
30日
2010

「国民読書年」を考えながら

Category: 社説



八重山分館問題どう収める

■今年は「国民読書年」
 今年は「国民読書年」である。だが市民にはこのことについて、あまり知れ渡っていないのではないか。
 99年に「子ども読書年に関する決議」を衆参両院で採決。これを受けて01年「子どもの読書活動の推進に関する法律」を立法。さらに05年には「文字・活字文化振興法」を制定し、諸施策を展開してきた。
 その成果があって、学校での「朝の10分間読書」、子ども文庫による「読書の街づくり」、読み聞かせに代表される「読書による市民活動の活性化」など読書に対する国民の意識は高まったように思える。その機運をさらに高め、真に躍動的なものにするために国会で決議したのが今年の「国民読書年」である。
 このようにして2000年の「子ども読書年」から10年がたつ。「文字・活字文化推進機構」の働きもあって子どもの読書環境は随分よくなった。それに伴い読書量も増えている。

■子どもの鑑(かがみ)に
 人類は、長い歳月をかけて文字・活字という表現手段を作り出し、生活を向上させてきた。そして、文化を創造し、発展・継承してきた。文字・活字なくして人類の進歩もなければ民主主義を発展させることはできなかったことだろう。

 私たちは、生きていく上で最も大切で、すべての社会活動の基盤となっている文字・活字に対して尊厳にも似た思いを持って接しなければいけない。そういう思いに立つならば文字・活字から紡ぎ出された「本」にもっと高い価値を与えねばならない。その価値の実像が読書ということになろう。
 読書は「新しい国のかたち」(竹下日本児童図書出版協会長)を創造する力の基である。未来を生きる子どもたちは、この新しい国を正しいものにつくり上げる役割を担っている。

 子どもたちの創造のエネルギーとなるものが「本」。大人は子どもたちのために「鑑(かがみ)」とならなければならない。大人が先頭に立って本に親しむ姿勢を見せなければならない。
 誰しも若かりしころ、読書に夢中になった経験がある。それを取り戻したい。読書の復権だ。父母の読書像を子どもに見せたい。そのような姿が家庭の中にあれば、子どもは父母の姿を自らに映すようになることだろう。

 石垣市教育委員会は、昨年「家庭の日」を「ファミリー読書の日」と位置づけ読書の普及推進を図っている。父母の読書推進に連動したい。市立図書館にもその役割を担ってほしい。
 県立図書館八重山分館の存廃が取りざたされている。同分館は市立図書館のおおよそ5倍ものの歴史を持つ。この歴史からして郷土資料や地域関係蔵書は質量豊かなものがあるようだ。市立図書館とは異種な図書館として並立再生できないだろうか。

■県立図書館八重山分館問題
 立地、建物、利用状況などに難点があるならば、新しい場所に、例えば「南島文化圏図書館」(仮称)として建設できないものか。本県は島嶼(しょ)県である。加えて本土とは異なる歴史を持つ。そのため特異の文化を持つ。その特異さを自ら消し去る文化行政であってはいけない。ここは我が県にしかできない新たな文化行政の展開にかじを切ることを求めたい。「八重山美術館」(仮称)との併設もそのひとつだろう。研究者による国際会議も夢見ることができる。財政面のみからの論議や判断は未来への思考を停止させる。
 江戸期の漢詩に「一穂(すい)の青灯/万古の心」というくだりがある。前は燭台の明り、後は書物の伝える古人の思いの意。先人に思いをはせる。

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