Category: 社説
過去を生かせ、そして未来投資で
このような事件で今年を閉じることになった教育界。なんとも残念なことだ。うるま市での中学生集団暴行死事件のことである。
■過去を生かし得なかった
過去に私たちは同様な悲しみを経験している。92年のことであった。そのとき、市民を網羅し再発防止運動を展開、難局を乗り越えた。しかし、96年、今度は高校生が集団暴行死事件を引き起こした。解決したように見えても根絶ではなかったということになる。その萌芽は今もあると見た方がいい。
所を変えて03年北谷町でも起きた。そして、今度のうるま市である。版図を全国に広げれば枚挙にいとまがない。過去にこうも多くの事件を経験しながら、なぜそれを生かすことができなかったのか。
考える力が育っていない、体の成長に合った心の成長がない、特異なよこしま子ども文化を壊すことができないとかの評論はもういい。と誰しもが思っていることだろう。ではどうすればいいのか。
■研ぎ澄まされた危機意識を持て
普通に育てておればこのような事件を起こさずに済んだはずだ。普通に育てておればとはどういうことを言うのか。温かい家族があって、理解のいい親権者、良き友人、親身に相談できる教師に囲まれて育っているということになろうか。
温かい家族や理解のいい親権者については知るすべはないが、少なくとも加害者の少年たちが良き友人や親身に相談できる教師に囲まれて育っていたとは言えまい。
人と人とのやりとりの中で営利を追求し、そこから糧を得ている企業人と比したとき、教員の世界は対人の心情を推し量ることが弱いか、もしくは鈍いということにならないか。そんなことはないと反論できる教員が果たしてどのくらいいるだろうか。学校はこのことについても感受せねばなるまい。
教師の研ぎ澄まされた危機意識、管理職のいつ事件事故が起きても不思議ではないという日常的な危機管理があればと遺族に代わっていまさらながら思う。被害者や家族から幾つかのサインと相談があっただけに残念と言うほかはない。
また、未然に加害者を救うこともできなかったということになる。過去に学ぶことができなかった学校は存在そのものをかけて再生を図ってほしい。
企業人の経営感覚、市場社会論理の教育への導入ということで、近年、民間人校長が多く登用されている。20年も30年も教育に打ち込んできた者を差し置いてである。旧習や陋(ろう)習を打破し、刷新と言えば聞こえは良いが、教育界はそれだけ信頼を失っているということだ。
学校は今、悔しき思いで励まなければなるまい。そのためには、教育への使命感を新たにすることから始めたい。
■教育は「投資」という思想で
「事業仕分け」は、画期的な改革であったと言えよう。だが、その一方で「コンクリートから人へ」のうたい文句とは裏腹に人材や科学の育成に逆行するような仕分けも目立った。
持続可能な社会の実現には、基盤に経済成長がある。我が国は資源に乏しい工業国である。そのため人材をもって資源としなければならない。経済成長の要諦として「教育」と「科学技術」がある。その人材育成が求められる。 人材育成は投資である。それは先行投資の性格を持つ。しかも、5年から10年の猶予があってはじめてかなう投資である。我が国の命運が掛っているのだの強い思いで政府は教育や科学技術のための人材育成に努めなくてはならない。
教育は国家の大計を担い人材育成の使命を持つ。学校はその実践の場である。教員はそのことを新たにしたい。