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「唐人墓」説明文は正しいか

改修を前に事件の検証が必要では?
■正しく紹介されているか  先月初め、石垣市立図書館主催の「著書を語る会」が開かれ、元高校教諭で石垣島唐人墓事件の著者田島信洋さんが、「唐人墓の虚像と実像」と題して講演を行い、これまで伝えられてきた説にあらためてさまざまな疑問や新たな問題提起を行った。  新川冨崎にある唐人墓は、連日大型の観光バスやタクシー、レンタカーがひっきりなしに訪れる八重山有数の観光スポットだ。それだけに唐人墓の説明文は事件を正しく伝えているのか、バスガイドやタクシーの運転手さんはどのように観光客に紹介しているのか確かに気になるところである。  この唐人墓も老朽化が近年激しいことから石垣市では年内に改修工事を行うという。それならその改修の前に、150年以上も前にこの八重山で起きた国際的な大事件が果たして正しく伝えられているか、説明文はこれでよいのか、あらためて関係者間で徹底検証し、改めるべきは改める必要があるのではないか。ひとたび改修されるとあるいは2、30年は見直しの機会がなくなり、こうした各種の疑問が提示されている事件の真相、歴史の問題点が未来永劫歴史のかなたに放置されたままになる恐れもあるからだ。 ■2度目の改修  この唐人墓には中国福建省出身者128人の霊が祭られている。その概略は1852年2月、福建のアモイで集められた400人余の苦力(クーリー)たちが米国商船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中、台湾東方で病人が海中に投棄されるなど虐待されたため暴動を起こし船長ら7人を殺害した。  船は台湾に向かう途中、たまたま石垣島崎枝沖で座礁、380人が下船した。八重山の政庁蔵元は現在の墓がある冨崎原に仮小屋を建てて収容したが、米英の兵船が3回にわたり来島、砲撃を加え武装兵を上陸させ捜索。山中に逃亡した中国人らは銃撃・逮捕され、あるいは自殺や疫病で病死者も続出した。  これに対し琉球王府と蔵元は人道的に対応、島民も密かに食料を運び込み、さらに死者は1人ひとり石積みの墓を建立して丁重に祭り、生存者172人は関係国の交渉の結果翌年9月、琉球の護送船2隻で福州に送還して終結した。  これらの霊を慰霊するため石垣市と台湾側とで1971年に建立したのがこの唐人墓で、現在の墓は1982年に改修され、説明文も現在の事件の概要を伝えるものに大幅に書き改められた。 ■シンポジウムで検証を  田島さんが疑問や問題点を指摘するのは、実際に英米兵に殺害されたのは3人で多くは1年7カ月余の帰国までの疫病によるものだが、これが128人全員が殺害されたかのように各種のガイドブックやインターネット上などで誤った伝え方をされ、さらに唐人は誘拐同然に集められたクーリーという説があるが、時代背景的には必ずしも奴隷的な労働者だけでなく、知識階級の人々の出稼ぎもあったこと。また漂着や座礁したのでなく石垣を台湾と間違えて上陸した形跡があること、砲撃も威嚇砲撃であったこと。  さらに一方でこの事件を「米英の西側植民地主義者による中国人労働者略取販売に反対する中国人民の闘争史上の重要事件であり、中国と琉球の友好の歴史の証人」とする論文が出る一方で、これを真っ向から否定する論文もあり、研究者間でも「ロバートバウン号事件」などの名称はじめ事件の見方、評価は異なる点が少なくない。  2度目となる改修は今年12月までに行われる予定だが、それだけに石垣市はその改修を絶好の機会として、それぞれ研究者を一堂に招いてシンポジウムを開くなど、田島氏の提起も含めて事件を徹底検証。その上で説明文も現在のままでよいのか、改めるべきは改めてより正しく後世に伝えていく努力をすべきだろう。  当時は島の人々も疫病で次々死んでいったが、琉球王府は小国琉球を守るため島の人より唐人を医者に見せるなど大切に扱ったともいわれる。今は日中友好のシンボルともなっているこの国際的な悲惨な事件の背景で、島にも悲惨な歴史があったことも島の子供はじめ島の人々、観光客にきちんと伝えていく必要があるだろう。市の積極的な対応を望みたい。

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