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野底御嶽など文化財に 文化財審議会に諮問

来月半ば現地調査
宮鳥御嶽のチシャノキ後継木でも意見交換
 第4回石垣市文化財審議会(崎山直委員長)が23日午後、市教育委員会2階ホールで開かれ、波平長吉教育長が崎山委員長に野底、桴海、宇根、西大田、ピュースの5つの御嶽の文化財指定(有形民俗文化財)を諮問した。同審議会では2月12日午後、現地を調査した上で、結論を出し、2月20日をメドに答申する方針。また、市民から要請があった冨崎観音堂参道へのスロープ設置や宮鳥御嶽のリュウキュウチシャノキが枯死した原因と後継木についても意見を交換した。  桴海御嶽(フカイオン)=桴海=は、過去に廃村になった桴海村の御嶽。拝殿やイビも良好な形で残っている。「八重山嶋由来記」には「子はら御嶽」と記録されているが、一般に桴海御嶽の呼称で定着している。  桴海村のマヤヌ神神事で、最初に儀礼を行う場所でもある。  宇根御嶽(ウニオン)=桴海=は、桴海御嶽の子嶽(フヮーオン)として創設され、同御嶽の北方海岸に位置する。桴海村のマヤヌ神神事(戦前に途絶えた)でマヤヌ神2神が衣装を整えて出発する御嶽。  西大田御嶽(イールフダオン)=桴海ヨネス=は、桴海村の御嶽。同由来記には「いてほた御嶽」と記され、「由来相知れず」となっている。拝殿やイビも良好な形で残っているが、現在、神事も途絶え放置されている。ピュース御嶽(ピュースオン)=桴海ヨネス=は西大田御嶽の子嶽として建立されたといわれているが、由来などは不明。小さな屋根型の拝殿がある。  野底御嶽=野底野底崎=は、1905年に廃村となった野底野底村の御嶽。同由来記には「野城御嶽」と記され、「由来相知れず」とある。野底村は、首里王府時代の1732年、黒島から強制移住政策で創建された。野底村の廃村で祭事も途絶えている。  各御嶽の地権者は石垣市となっている。  審議会では、このほかに事務局から権現堂保存修復工事の進ちょく状況や旧八重山蔵元跡の試掘調査結果などが報告されたほか、市民から要請があった冨崎観音堂参道へのスロープ設置や真乙婆御嶽境内の整備、宮鳥御嶽のリュウキュウチシャノキの枯死原因や後継木について意見を交換した。  このうち、観音堂参道へのスロープについては、事務局が「設置する方向だが、08年度での予算措置がされていない」ことを報告した。  枯死した宮鳥御嶽のチシャノキについては、委員から枯死の原因が人間が木の周辺を踏み固めたことによる踏圧死の可能性が示され、後継木を植える場合でも、周囲に土手を作り、盛土した上で植えることが望ましいとの意見が出された。  ただ、チシャノキが県指定天然記念物だけに「後継木を勝手に植えられない」との意見もあり、今後、事務局の教育委員会が一定の方向性を示し、それに基づいて審議することを確認した。
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